災害で地方の切り捨てなんかさせない/南三陸日記

実用書

南三陸日記(三浦英之)

 住んで、泣いて、記録した。東日本大震災直後に受けた内示の転勤先は宮城県南三陸町。瓦礫に埋もれた被災地でともに過ごしながら、人々の心の揺れを取材し続け、朝日新聞に連載された「南三陸日記」は大反響を呼んだ。開高健ノンフィクション賞など、数々の賞を受賞した気鋭のライターが描く珠玉のルポタージュ。

集英社文庫カバーより
熊野堂
熊野堂

東日本大震災、紀伊半島大水害、能登半島地震…。地方で大きな災害が起きるたび、地方切り捨ての論理が噴出してきます。災害を機に切り捨てなんてさせない。これは遠い世界の物語ではないと、多くの人に実感してもらいたいルポです。

お薦め度 

ポイント

・被災地からの報告

・被災地の格差

・名前

・美談が生まれる理由

被災地からの報告

 東日本大震災と同じ2011年の9月に、紀伊半島大水害が起こりました。紀伊半島以外の人がどれだけこの災害を知っているかは分かりません。しかし、かつてない規模の大水害で、多くの犠牲者が出ました。都会のマスコミが多く紀伊半島を訪れ、記事になりそうな出来事を探して「報道」していきました。それは地元の感覚とは少しずれたもの。でも、都会の人が求める「物語」なのかもしれません。

 ある土砂災害の現場。連日取材に通っていたとろ、行方不明だった1人の遺体が発見されました。慎重に土砂を除き、作業が終わったのは日付が変わるころ。通行規制があって、現場から30分ほど歩いた場所に車を止めていました。都会のマスコミと一緒に真っ暗な道を歩いて帰ったのですが、一人の記者が「あー星がきれいだ。来てよかった」と笑顔で語りました。「はっ?さっき遺族のコメントもとったし、こっちは気がおかしくなりそうなのに、何考えているの」。この記者にとっては、報道する記事が取れた。それで万事OK。ここで起きている出来事なんて他人事なのでしょう。確認していないから違うかもしれませんが、あまりの感覚のずれに愕然としました。

 南三陸日記の著者は被災地の出身者ではありませんが、新人時代を過ごした地で再び住み込んで日常の変化や感じたことを「報告」するスタイル。地方紙のスタンスととても似ています。いや、地元民でない分、僕たちより踏み込めこめることがあるかもしれない。災害大変でしたね、で終わらない、続いていく「物語」があります。

被災地の格差

 被災地には格差が生まれます。大きな被害があった地域、被害が小さかった地域。身内に犠牲者がいる人、いない人。冒頭の一遍では「家も家族も無事で申し訳ない」。そんなコメントが紹介されています。無事でいたことを謝らなければならないなんて、被災地の空気をとても表しています。

 震災から1年後、東日本大震災の被災地を訪れました。すでに復旧しているエリア、そして以前の姿が全く想像できない(僕の視点からすれば)1年経っても全く復旧進んでいないエリア。その差がくっきりと表れていました。紀伊半島大水害も同じです。被害の大きかったエリアで取材し、会社に戻るとその周辺は日常を取り戻しています。王将もすき家も駐車場はいっぱい。社内の人間ものほほんと競馬の話やドラマの話をしている。この落差は何なのか。そういう私も被災していない。この感覚が本当にしんどかったと今でも思い出します。

 被害が大きいエリアの中でも、家が全壊か無傷かは紙一重。全壊の家屋を片付けている数メートル先の家は無傷で明々と光が灯り、バーベキューを楽しんでいる。匂いが被災した家にまで届く。誰も悪くない。バーベキューも悪くないのだけれど、被災した家主の中ではいろいろな感情がぐるぐる巡ったそうです。

名前

 東日本大震災も紀伊半島大水害も、長老たちが「こんなことは初めてだ」と口をそろえました。でも、歴史的には決して初めてではなかったはずです。災害が訪れる周期が人間の寿命より長いため、「前回」の体験も記憶、言い伝えもないのです。

 でも、災害の記憶は「名前」に残されていることがあります。人の名前にも地名にも。作品の中でこんなエピソードがありました。

 89歳の男性の母親の名前が「なみ」。明治三陸津波の時、妊娠中だった男性の祖母は隣の浜まで流された。家に戻ると母と二人の子は亡くなっていた。半年後に生まれた娘に「なみ」と名付けた。子孫が津波の対策を怠らないように…。

 海から2㌔離れた集落は「大船沢」と呼ばれています。津波で大きな船がここまで流れてきたという警告を先人が地名に刻んだと伝えられています。

 紀伊半島大水害でもそうでした。水害の歴史を伝える地名も残っていますが、その意味はもう忘れられていました。経済優先の土地開発が進む中、先人の知恵は端に追いやられました。そこに大規模災害が襲う。全国で何度も繰り返されています。

美談が生まれる理由

 津波が迫る中、防災無線で町民に避難を呼びかけ続け亡くなった若い女性町職員の話は、各紙で美談として取り上げられました。でも、三浦さんは取り上げられなかったそうです。自らの命を投げ出して、人の命を助けることが尊ばれる社会が、本当に人に優しい社会といえるのか。

 悲劇的なことがあった時、それを隠すように美談が生まれます。東日本大震災では揺れから津波が到達するまで約30分だったといわれています。その間にできることはなかったか。30分のための対策をどうとっていればよかったのか。紀伊半島が南海トラフ地震に襲われたら、30分の猶予さえないでしょう。悲劇を隠す美談より、悲劇を生まない準備を。誰かが犠牲になる美談はいりません。

編集後記

 能登半島地震は紀伊半島にも通じる地方のさまざまな課題が噴出した災害です。被災地までなかなかたどり着けない。復興の過程でも、効率の名の下、地方は切り捨てられるのではないか。地方から地方の現実を伝えるメディアが必要です。自分がその力になれるのか。この本を読んであらためて考えさせられました。

 

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