超高齢社会も大丈夫?敬老の日に考えたい

小説

スクラップ・アンド・ビルド(羽田圭介)

「死にたか」と漏らす八十七歳の祖父の手助けを決意した健斗の意外な行動とは!? 新しい家族小説の誕生を告げた芥川賞受賞作。

文藝春秋ホームページより

超高齢社会は単に高齢者が多いだけでなく、若者が少ない。確実に高齢者に近づいている団塊ジュニア世代の僕には支える側、高齢者側両方の話がリアルに響く。超高齢社会、介護なんて他人ごとと思っている人にも読んでもらいたい作品。

お薦め度 

ポイント

・世代間の争い

・介護の仕事

・母のリアル

世代間の争い

 高齢者は優遇されている、若者は負担ばかり強いられている。こういう図式を唱える人は多い。受験戦争、就職氷河期時代を生きてきた世代としてはいいたいことは分からないでもない。「俺たちの時代は、こうやって頑張ってきたんだ」。1世代上の先輩たちの武勇伝は確かに聞くに堪えない。でも、自分の人生が上手くいかない理由を他の世代のせいにするのはどうだろう。どの世代にだって苦労はあり、前の世代をうらやんできただろう。いや、後の世代もうらやんでいるかもしれない。

 この作品では主人公が祖父と同居する中で抱くさまざまな思いがユーモアを交えて描かれている。主人公も祖父も決して「立派」な人ではない。主人公は祖父を弱らせて死なせてあげようと画策するし、祖父は卑屈にふるまい「死にたい」といいながら、実はそう単純ではない。単なる対立軸でない関係をどうつくっていくのか。超高齢社会を生きるヒントがあるかもしれない。

介護の仕事

 介護業界が経済的にも肉体的にもきついというのはよく聞く話。人手不足は慢性化しており、さらに加速しそうだ。作中の介護職員の話がリアルだ。4年以上の職歴がある男性の人材は貴重らしい。そういう人たちは総じて、甲斐性のある女と一緒に生活している場合が多く、つまりはモテる男にしか長く務まらない仕事なのだという。

 高齢者を弱らせる手法もゾッとする。足し算の介護で動きを奪って、ぜんぶいっぺんに弱らせることだ。使わない機能は衰えるから要介護3を5にする介護だよ。バリアフリーからバリア有にする最近の流行とは逆行するけど。中途半端に弱らせても死なせてあげられなかったら、介護が今より余計面倒になって、家庭看護者のストレスは増す。

 今もどこかでこうした行為は行われている。

母のリアル

 主人公の母親の描写が強烈で、作品を引き締めている。

「じいちゃんは邪魔やけん部屋に戻っとこうかね」とつぶやく祖父(母から見れば父)に対し、「いちいち宣言しなくていいんだよ糞ジジイが」と吐き捨てる。他にも「甘えんじゃないよ、楽ばっかりしていると寝たきりになるよ」「杖なしでも歩けるくせに」「健斗(主人公)に甘えるな」ととにかくきつい。

 それでもちょっと笑ってしまう。「お母さん、今日は、風呂に入ったほうがよかね?」との祖父の問いに、「知らないよそんなの、入りたいなら自分で健斗にお願いしろ。あとお母さんって呼ぶな」。父親が娘を「お母さん」と読んでいて、それに反発する。この辺がいかにもありそう。

 作者のインタビュー記事によると、この母は作者の母にかなり似ているそうだ。

編集後記

 芥川賞受賞作だが、この時、又吉と同時受賞だった。「又吉じゃない方」として記憶している人もいるかもしれないが、羽田さん自身が結構なキャラクターの持ち主で、「じゃない方」を払拭していたように思う。感動作でも高尚な作品でもないが、日常を考えさせられる良作。高齢社会の問題を扱った映画「PLAN75」も併せて観てほしい。老後が不安な方へ|PLAN75 | 本の処方箋 熊野堂 (kumanokokorono-hon.com)

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