マイノリティーは他人ごとか、誰だって可能性

小説

ハンチバック(市川沙央)

「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた。」

井沢釈華の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。
両親が遺したグループホームの十畳の自室から釈華は、あらゆる言葉を送りだす——。

第169回芥川賞受賞。選考会沸騰の大問題作!

文春ブックスホームページより

重い先天性の障害がある女性が主人公で、作者も同じ障害がある。当事者による障碍者の話はこれまであまり見たことがない。重い中にもユーモアがあり、自分とは違った視点を与えてくれる。マイノリティーとは何だろうと考えている人、いろいろなことが上手くいかない人にお薦め。

お薦め度 

ポイント

障碍当事者

・読書文化のマチズモ

・バリアフリー

障碍当事者

 文学作品の紹介で、ここを一番先に述べるのはどうかとは思う。しかし、ここに触れずに話を進めるのは難しい。作者は筋疾患先天性ミオパチーによる症候性側彎症および人工呼吸器使用・電動車椅子当事者。作中の主人公と重な部分が多い。タイトルのハンチバックは「脊椎上部が異様に湾曲しているため背中が丸まっている人」の意味である。障碍者自身が障碍者の物語を描いている。そこには「かわいそう」「お涙頂戴」的な要素はまるでない。重く、強く、ふてぶてしく、ユーモアもある。

 「息苦しい」という言葉に「本当の息苦しさも知らない癖に」と思う。硬いプラスチックの矯正コルセットに胴体を閉じ込めて重力に抵抗している身体の中で、湾曲した背骨とコルセットの間に挟まれた心臓と肺は常に窮屈な思いをパルスオキシメーターの数値に吐露した。といった描写は当事者ならでは。パルスオキシメーターは酸素飽和度と脈拍を計る。酸素飽和度は全身に運ばれる血液の中に流れている赤血球に含まれるヘモグロビンの中に何%の酸素が結合しているかの数値である。

読書文化のマチズモ

 聞きなれない言葉である。厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページをめくれること読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けることー5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。その特権性に気づかない「本好き」たちの無知な傲慢さを憎んでいた。強烈なメッセージだ。ちなみに、マチズモの語源は男性優位。

 完全に憎まれている。そんなこと当たり前としてか思っていなかった。電子書籍より紙の本が好き。新聞も電子より紙が読みやすい。そう思っている。ただ、だから電子はいらないというつもりはない。紙でも電子でもどちらかを選べるのが望ましい。紙では読みにくい人がいるから全て電子にだとそれはそれで乱暴だ。要は異性が好きな人もいれば、同性が好きな人もいる。どちらかだけが正解というわけでなく、正解はいろいろある。憎まれても僕は紙の本派である。

バリアフリー

 読書界はバリアフリーが遅れている。そんな言葉は聞いたことがあった。でも、そこまで実感したことはなかった。アメリカの大学では電子教科書が普及済みどころか、箱から出して視覚障碍者がすぐに使える仕様の端末でなければ配布物として採用されないという。日本では社会に障碍者がいないことになっているのでそんなアグレッシブな配慮はない。スポーツ界の方がよっぽど障碍者に活躍の場を用意しているのではないか。この言葉は重い。いろんな場面でバリアフリーを考えることはあるけれど、やっぱり足りていないと実感する。

 ある町の議会で公共施設のバリアフリーの遅れが問題となった。議員は怒ってこう言った。「全然バリアフリーが進んでいないじゃないですか。ちゃんとバリア作ってくださいよ」。担当課長「はい。バリア作ります」。バリアフリー社会の到来は遠い。

編集後記

 興味深く読んだ。考えさせられることの多い作品。文体はそれなりに読みやすく、障碍について考える人も増えるかもしれない。一方で、内容が絶賛するほどよかったというと疑問点もある。性的な話にもっていく必要があるのか。でも、一般に伝えるにはこれが一番早いのか。文学界、読書界に一石を投じる作品ではある。

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