巨匠の作品を観てみた

映画

秋刀魚の味(1962年、日本)

小津安二郎の遺作。小津作品の要素を多分に含んだ、集大成ともいえる作品。男手一つで育てた娘を嫁に出す父の気持ち、嫁に行く当の娘の心情を描き出す。仲の好い初老の紳士たち、うらぶれ老いた恩師とその娘、主人公の海軍時代の部下、戦後的な長男夫婦など、主筋以外の点描も見どころあり。

松竹ホームページより

洋画の方が格好いい。そう思う人に観てもらいたい。おしゃれでも、格好良くもないけれど、なぜか見入ってしまう。小津の魔法。巨匠なんて言葉には懐疑的だけれど、なるほど。これが巨匠か。

お薦め度 

ポイント

・昭和の家庭事情

・サンマはどこへ消えた

・小津再評価

昭和の家庭事情

 60年以上前の作品である。冒頭から今ならセクハラで即アウトというようなセリフが飛び交う。女性は20代前半で結婚していないと遅い。そんな空気感が漂う。そして、おじさんたちが元気だ。まだ定年を迎えていないところをみると、50代前半なのか。初老(に見える)紳士たちの会話は基本、猥談ばかり。同級生でずっと仲が良くて、会えば猥談。全然うらやましくないが、のんびした豊かな時代である。

 一方で、主人公の長男夫婦は今どき。妻が夫に従って、という雰囲気は全然ない。言いたいことはずけずけ言う。夫は冷蔵庫がほしいという妻の圧を受け、父に無心に行ったり、ついでにゴルフクラブを買おうとしてとっちめられたり。この辺は令和もあまり変わらないような。

 戦後まだ20年経っていない時代。主人公たちも戦争を経験してきている。スナックで軍艦マーチを歌ったり、「戦争に負けてよかった」というセリフがあったり。普通に戦争の歌を歌えてしまう。負けてよかったとも感じている。昭和30年代にタイムスリップできる。

 演技の仕方も今とはずいぶん違う。いわゆる棒台詞が多い気がするのだが、これには狙いがるのか、それとも現代の演技が自然派路線するぎるのか。

サンマはどこへ消えた

 タイトルにサンマとあるが、作品には登場しない。秋に公開だから内容が決まっていないけど宣伝のため先にタイトルだけ付けた。庶民らしさを出した。諸説あるらしい。

 サンマは学生時代や社会人になりたてだったころ、お世話になった魚。1本100円以下で買える貴重なたんぱく源だった。学生時代に住み込みで働いたホテルの社員食堂では毎日サンマが出ていた。よほど安かったのだろう。もっとも、最近は不漁でサンマは庶民の味ではなくなっている。高くてなかなか買おうという気にならないのだ。この辺も時代の流れを感じる。

 タイトルだけでなく、作中の不思議がいくつかある。一つは恩師がなぜか人気のないラーメン屋の店主になっていること。当時の学校の先生は退職後、こんな転身をしていたのか。戦時中に先生だった人は、制度の転換でやめてしまって、新たな仕事に就いたのか。会社で偉くなっている教え子にご馳走してもらい、酔っぱらう恩師の姿は悲哀を感じる。この恩師の家にも娘がいるのが、話のポイントになっている。

小津再評価

 今年は小津の生誕120周年ということで、小津が再び注目されている。

 今年のカンヌ国際映画祭で男優賞を射止めたのは、東京を舞台にした「パーフェクトデイズ」(ヴィム・ヴェンダース監督)主演の役所広司。ドイツ出身のヴェンダース監督は小津を師と仰ぐ親日家で、今作品では日本の社会の片隅で生きる男の質素な日常とささやかな喜びを描くなど、小津テイストがあふれている、ようだ(まだ観ていないので)。

 日本映画の巨匠と言えば黒澤明だが、黒澤と小津は対極というくらい作風が違う。あるコラムで大文字の黒澤、小文字の小津と表現していたが、言い得て妙である。黒澤の作品の日本らしさと、小津のそれは見せ方が違う。公開当時、小津作品は国際的には評価されないのではないかと言われていたそうだが、その感覚は分かる。では、なぜ実際は評価されたのか。人間の営みの根本部分は洋の東西を問わず共通していて、それをじっくり下からの目線で描いているからではないか。娘を嫁がすシーン、小津自身は独身で、実体験はないらしい。

編集後記

 巨匠と言われるような人の作品は敬遠しがち。小津の作品は内容は何となく知っていけれど、観たことはなかった。ただ僕が住んでいた三重県松阪市で幼少期を過ごしており、親近感はあった。作品はエンタメ性が高いわけでも、そこまで深みがあるわけでもない。でも、じわりと染みるものがあるし、いろいろ考えさせられもする。今後、巨匠作品を観てみたシリーズ始めようかな。

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