クレジットカードを使っている方へ|火車

処方

火車(宮部みゆき)

休職中の刑事、本間俊介遠縁の男性に頼まれて、失踪した彼の婚約者関根彰子の行方を探すことに。なぜ自らの意思で、しかも徹底的に足取りを消してまで、存在を消さねばならなかったのか。彼女はいったい何者なのか。謎を解く鍵は、カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。30年ほど前の作品で、ミステリー史に残る傑作。

文庫本カバーより

ミステリーとしても、金融リテラシーを高める教科書としてもお薦め。高校卒業までに必ず読んでおきたい名作。

お薦め度 

効能・注意

・カード社会の怖さ

・入れ替わりどこまでできるか

・心理描写の秀逸性

カード社会の怖さ

 作品はクレジットカード社会の怖さを描き、大きな話題になりました。僕が高校時代だったと思います。クレジットカードは夢のカードではありません。時に悪夢を見せるお金の魔力に満ちた代物です。キャッシュレスがこれだけ普及した中でもそれは変わりません。

 カードでキャッシングして、支払いに困り、サラ金にまで手を出す。このパターンで借金はどんどん膨らんでいきます。クレジットカードでキャッシングするのはスマートな印象があります。でも、金利は大手のサラ金とどっこいどっこい。うっかりその沼にハマると抜けられなくなります。

 とはいえ「そんなの一部のだらしない人でしょ」と思う人もいるでしょう。でも、誰だって危険はあるし、関りがあります。例えばトラックの運転手が居眠り運転で、交通事故を起こす。トラックの運転手には過失がある。でも、そういう勤務状態に置いた会社、衝撃を受け止める中央分離帯をつくらなかった行政、道幅を広げられない都市計画、地価の高さ…。事故には無数の要因があります。子どもの虐待は、障碍者による事件はどうか。クレジット破産する人を人間的に欠陥があると断罪するのは易しい。でも、本当にそうか社会を変えなければいけない問題を個人の問題にしていないか。作中で問いかけられます。

 作中の説明では、クレジットカードで動くお金は平成元年の1989年で約57兆円、この年の国民総生産の14%に当たります。1980年には21兆円だったので、10年もたたない間に3倍近く増えていることになります。今はさらに増えているはず。これだけのお金が動く産業はもう失くすことはできないでしょう。

 カードは18歳以上で持つことができます。この若年層が一番危ない。作中の弁護士の言葉。「企業は客においしいことしか言わない。こっちが賢くなるしかない。大学、高校、中学校でクレジット社会で正しくカードを使いこなしていく指導をしたか。高校を卒業する女子生徒に化粧の講習をするなら、クレジットの基礎知識を教える講習も一緒に開くべきだ」。高校でようやく金融の授業が始まりました。少しでも前進するといいですね。

入れ替わり

 前半で分かるので、説明してしまいますが、遠縁の男性の婚約者、彰子は彰子ではありませんでした。実は全くの別人が、その名義を乗っ取り成り代わっていたのです。血縁者が少なく、孤独な生い立ちの人を狙って。なぜ、入れ替わったのか。本物の彰子も、乗っ取った女性もまた壮絶な過去を抱えていました。その謎を解明していく過程がスリリングで面白い。

 今ならSNSが普及していて、そんな簡単に入れ替わることなんてできないと思うかもしれませんが、ネット上で入れ替わり、成りすましが多発しています。もっと恐ろしい入れ替わりが起こっているかもしれない。ずいぶん、前の作品ですが、現代と通じるところ、今ならどうだろうという視点を併せて読むとより面白いかもしれません。

秀逸な心理描写

 作中にこんなエピソードがあります。ある女性が受ける電話。かつて勤めていた会社の、あまり親しくなかった女性から突然かかってきます。近況を聞かれ「子育てが大変」と答えると絶句して、「結婚したの?」と問い返されます。「たぶん、彼女、自分に負けている仲間を探していたんだと思うな」。彼女は語ります。なぜ、そう思ったのか。「寂しかったんでしょう。どん底にいるような気分だったんでしょう。分からないけれど。結婚するでも、留学するでもなく、会社を辞めて、田舎へ引っ込んだあたしなら、少なくとも東京にいて華やかに見える自分よりは惨めだと当たりをつけて電話してきたんですよ」

 僕は就職氷河期世代です。就活の頃はみんな相当苦労してて、ノイローゼ気味の仲間も少なくなかった。全然希望していない職種でも、とにかく就職できないと生き残れない。そんな悲壮感が漂っていました。そんな中、まったく就職活動をしていなかった僕は少数派で、4年生の時が一番学校に通っていました。すると、仲間から電話がかかってくるんです。「就職活動どう?」って。そうやって、自分よりダメ(その人の基準では)な人を探して、安心する。小説の場面とぴったり合います。でも、全然嫌ではなかったですね。僕はまったく別の基準で動いていたので、「負けている感」はなかったです。むしろ、みんな大変だなと思って、ダメっぷりをことさら強調して、励ましました。僕が心の精神安定剤になったのか。最終的にはみんな、なんらかの職には就きました。

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