春にして君を離れ(アガサ・クリスティー)
こんな話
優しい夫、よき子どもに恵まれ、ジョーンは理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。ところが、娘の病気見舞いを終えてバグダッド(イラク)からイギリスに帰る途中で出会った同級生との会話から、それまでの親子関係、夫婦の愛情に疑問を抱き始める。女性の愛の迷いを冷たく見据え、繊細に描いた殺人事件のないサスペンス小説。
不都合な真実は知るべきか
ヒロインのジョーンは、哀しい存在として描かれます。自分では理想の家庭と思っているのに、他の家族は誰もそんなことを思っていない。表面上は夫婦、親子としてある程度、ジョーンの理想に付き合ってはいるけど、心の中では突き放している。
ジョーンみたいな人いるよね。多くの人が思い浮かべたり、自分を振り返ったりするのではないでしょうか。僕にもパッと思い浮かぶ人がいます。そういう人がある時、不都合な真実に気づくことがあるのか。
ジョーンは友人との会話をきっかけに徐々に不都合な真実に迫っていきますが、実は以前からそのチャンスはたびたび訪れていました。でも、蓋をしてきた。「わたしがこれまで誰についても真相を知らずにすごしてきたのは、こうあってほしいと思うようなことを信じて、真実に直面する苦しみを避ける方が、ずっと楽だったからだ」。
ここからヒロインは変わるのか、変わらないのか。サスペンスなので結末は明かせませんが、僕はこの結末はすごいリアリティーがあるなと感じました。約80年前の遠いイギリスの物語は現代の日本にも通じるものがあります。
家族はどうなのか
哀しいジョーンを生んだのは誰か。一番の要因は彼女自身ですが、例えば長年連れ添った夫に問題はないのか。夫のロドニーは完全にあきらめています。自分を殺して、妻のやりたいようにさせる。積極的ではないにせよ、ジョーンが哀しい存在になっていくことに加担しています。改めたいなら直言すればいいし、離婚だってできる。現状を受け入れているなら、被害者づらはやめた方がいいですね。
僕がジョーンに似ていると思う人も、周囲は「やれやれ」と思いながらも「ここは直した方がいいよ」とは誰も言わない。本人だって薄々気づいているはずだとは思うけれど、結局楽な自己満足の方に陥ってしまう。
もっとも他人から言われて変わるものでもないかもしれません。自分でつかんだ答えでないと定着しないからです。ジョーンの恩師の言葉。「自分のことばかり考えずに、他の人のこともお考えなさい。そして責任を取ることを恐れてはいけません」。
アガサ・クリスティー
アガサ・クリスティーといえば「そして誰もいなくなった」「オリエント急行の殺人」など誰もが知るミステリー作家。でも、この作品には殺人事件は起きないし、ポワロもマープルも出てきません。でもミステリーも人間の心理を描くもの。共通項は多いです。むしろ、日常により近いこの手の作品の方がある意味ゾクゾク感があるかもしれません。
ちなみにシャーロック・ホームズシリーズで知られるコナン・ドイルもミステリー以外に歴史小説も書いています。読んだことはありませんが。