事件(アニー・エルノー)
中絶が違法だった時代のフランスで、妊娠してしまったものの、赤ん坊を堕ろして学業を続けたい大学生の苦悩と葛藤、闇で行われていた危険な堕胎の実態を克明に描く。フランスを代表するオートフィクションの旗手で、ノーベル文学賞受賞作家の短編。映画化もされている。
早川文庫より
女性の同僚が大ファンで以前から絶賛していたが、なるほど、これはまさに「事件」といえるレベルの作品。描写は男性にはかなりきつい場面も。女性より、男性に感想を聞いてみたい。男女平等とかジェンダーとか、まずこの作品から入ってもいいかも。時代を超えるテーマが詰まってます。
お薦め度
男女の不平等
生理がこないことの不安感。男性も知らせを聞いて不安になることはあるだろうが、女性の不安とは恐らく桁が違う。主人公は大学に進むことに成功し、貧しさから抜け出すチャンスを得ていた。しかし、妊娠により貧しさを受け継ぐ危険性が生まれる。「私の中で成長しているものは、ある意味、社会的挫折だと言えた」。社会人になっても「今、この仕事を止められない」、結婚してすでに子どもがいてももう1人は無理。そんな状況は考えられる。
中絶が違法だった時代。主人公は中絶を選択することには躊躇しない。ただ、実現するまでの道のりは困難で、屈辱にも耐えないといけない。法を犯すリスクもある。人の生き方の問題であるはずだが、裁かれるのは女性だけ。身体的負担も女性だけ。関係している男性は裁かれることはないし、身体的リスクもない。作品の関係男性は心も痛めそうにない。
もちろん、新たな命の問題でもあり、安易なことは言えないが、女性が中絶の権利を持つこと、育てる義務は男女とも負うことは男女平等の基本。それがおろそかにされた時代がそう遠くない昔にあり、時代が移った今も完全には解消されていない。
リアルすぎる描写
中絶の処置、実際に身に起こることの描写はリアルすぎて怖い。作品はオートフィクション。自伝的小説で、作者の体験がそのまま描かれている。闇の施術を受けて、体内にゾンデ(ゾンデが何か分からず調べた)を入れたまま経過を待つシーン。極めつけは羊水がほとばしり、胎児がへその緒の先に垂れ下がているのが見えるシーン。そのあと、何とか友達が処置するシーンなど。こんなに描写する小説が他にあるだろうか。ここが怖すぎて読み飛ばしたくなる人もいるはず。それほどリアル。
気持ちの描写もリアル。妊娠する前の実感は多くの人がそうなのではないか。自分のお腹の中でそんなことが起きるとは信じていなかった。セックスの快楽のさなかに、男の肉体以外のものがわたしの中に存在すると感じたことはなかった。ここまで正直に書く小説は少ないだろう。
性の解放
著者は戦後生まれ。母親は戦争前の世代で、罪の意識と性的なものへの恥じらいを持つ世代に属していた。小説では性の自由が描かれ、それはその前時代の封建的というか、抑圧的な性への反発があるのだろう。主人公もセックスへの抵抗はない。ただ、最近はさらに性の考え方が進んでいるように思う。多様化というべきか。こうした自由な性もあるし、自主的に抑制する人もいるし、恋愛、性に重きを置かない人もいる。抑圧からの解放で、恋愛至上主義がいきすぎ、また新しい段階に入っているのかもしれない。
性の多様性、ジェンダーなどを題材にした作品で秀逸なものも出てきている。「きのう何食べた」「作りたい女と食べたい女」「今夜すきやきだよ」。僕の青春時代にはなかった類の作品だが、なかなか心地よく感じる。
編集後記
中絶について考えるきっかけになったのが、昨年ニュースになったアメリカでの中絶の禁止や規制の動き。日本は中絶が認められているが、現在では手術しか方法がないことも知った。最近ようやく飲み薬での中絶が認められるようになりそうだ。海外と比較して、遅れが指摘されていた部分だ。まだ「配偶者の同意」という問題は残る。ナイーブな問題ではあるが、産むか産まないかの権利を持つというシンプルな問題である。