テロで時代は進まない/テロルの決算

ノンフィクション

テロルの決算(沢木耕太郎)

山口二矢(おとや)は日比谷公会堂の舞台に駆け上がり、社会党委員長浅沼稲次郎の躰に向かって一直線に突進した…。右翼の黒幕に使嗾(しそう)されというのではない自立した17歳のテロリストと、ただ善良だったというだけではない人生の苦悩を背負った61歳の野党政治家が激しく交錯する一瞬を描き切る。大宅ノンフィクション賞受賞作。

文春文庫カバーより

ノンフィクションの書籍を読んだことはほとんどありませんでしたが、この作品は圧巻です。小説でなく、ノンフィクションでここまで描けるのかと、世界にぐいぐい引きこまれます。この手法を真似た作品がたくさん現れるのも納得。ニュースを読まない人も、この手法なら。いや、そんな人はどうせ読まないかな…。旅行記以外のノンフィクションも読んでみたいという人必読です。

お薦め度 

ポイント

・テロはどこでも

・重厚な取材

・2人の交錯

・テロで時代は進まない

テロはどこでも

 テロなんて外国の話、もしくは昭和初期までの話、ドラマの中だけの話…。そんなふうに思っていた人も多いのでしょうか。今でも思っている人もいるでしょう。でも、安倍元首相がテロに倒れたのは2022年7月、岸田首相が狙われたテロは23年4月15日、まだ1年前の話です。しかも、安倍元首相は奈良県、岸田首相の事件は和歌山県。地方でのできごとです。

 岸田首相へのテロでは、僕の後輩記者が取材で現場にいました。岸田首相は選挙の応援で和歌山を訪れており、取材はあいさつしている姿を収めて、その日の夕刊に入れるのが目的。それが一転、日本を揺るがす騒動の渦中に放り込まれました。そこにいた記者たちは加害者どころか被害者なのですが、現場から動くことが許されなかったそうです。後輩記者にいたっては車で記事を書こうと、パソコンも車に積みっぱなし。記事を書いて送信することもできず、スマホで対応するしかなかったとか。夕方まで寒さとひもじさに耐えていたそうです。もし、僕はこの現場にいたらどんな記事を書き、どんな行動を取っていたか。そもそも無事でいられたか。いろいろ想像してしまいます。

 

重厚な取材

 ライターの人が読めば、この作品が途方ない取材を重ねて書かれていることが分かるはずです。テロリストの少年と襲われた野党議員、この2人の人生を深く掘り下げるとともに、周囲の人間の証言が分厚くて2人を多角的に描くことができています。

 速報の新聞記事にはある程度、フォーマット的なものがあって、事件でも記者会見でも災害でも、この形にはめ込んで報道することが多いです。簡潔に分かりやすく伝えるにはぴったりなのですが、それだけでは伝えられない話が世の中には多くあります。物語性のあるノンフィクションの手法はその壁を超える一つの方法ではあります。ただし、記事は長くなり、取材も時間がかかりそうですが。

 新聞社も出版社もテレビ局も、体力が低下する中、こうしたノンフィクションを発表し続けられるか。安易な道でPV、視聴率稼ぎに一喜一憂するか。業界全体の行方を左右する判断が迫られています

2人の交錯

 テロリストとなる少年は右翼的な思想を持ち、右翼団体でも活動したことがありますが、特殊なだけの人ではありません。思い込みも、感情も激しいようですが、礼儀正しく、人との接し方も基本的には丁寧です。家族やお世話になった人を思ったり、自分の行動を人のせいにしないなど、誰でもできることではありません。

 中でも象徴的なのが、浅沼を襲撃し、取り押さえられるシーン。日本刀の刃の部分を警察官に掴まれます。引き抜けば日本刀を自分の手に確保することができますが、警察官の指は切れてしまう。少年は刀を動かすことをしませんでした。この冒頭のシーンがラストにも深くかかわるのができすぎなくらいのドラマです。

 野党議員の浅沼は、田辺市出身の元首相片山哲の後に社会党を継いだ政治家です。庶民派といわれ、手腕はどうなのか分かりませんが、人気はあります。池田首相が所得倍増を叫ぶ中、牛乳を3杯(3本だったか)飲めるようにすると訴える姿は、ジョークのようですが、本人は大まじめです。決してテロの対象になるような人物ではないのですが、この議員が生まれる背景も複雑です。

 タイムマシンがないと歴史を知ることができない、なんてことはありません。2人の人生が交錯するまでを描いたノンフィクションは、2人のそばにいた人でも描けません。複数の証言を集めて組み立てたからこその世界です。

テロで時代は進まない

 テロでは時代が逆行することはあっても前には進まない、とよく言われます。テロを起こす人は、そうしないとどうにもならない、そうすことでしか道が開けないと思い込むのでしょうが、決してそんなことはないのです。

 銀河英雄伝説では主人公最大のライバルで、もう一人の主人公でもあるヤン・ウェンリーがテロに倒れます。しかも、宗教絡み(それを操る政治的勢力)のテロです。小説の世界ははるか未来ですが、こうしたテロは過去から何度も繰り返されてきました。未来もそうではないかと示唆します。

 自分自身がテロリストにならないよう気を付けることは大前提です。それだけではありません。自分が追い詰められていく人を生み出すことに、知らず知らずに加担していないか。見直す必要はないでしょうか。テロは決して他人ごとではなく、社会から生まれるものだと思います。

編集後記

 こんな記事を書いてみたい。素直にそう思えることはめったにないのですが、「テロルの決算」「スローカーブを、もう1球」の2作品は、もう白旗を上げるしかない。真似でもいいから、こんな作品を書いてみたい。そう思わされました。いつか、そんなに遠くない先に、きっと。

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