野球の中にあるドラマ/江夏の21球

実用書

江夏の21球(山際淳司)

山際の真骨頂は劇的なスポーツドラマの再現だけではない。むしろヒーローになりそこねた選手たち、あるいはいまでいう脱力系のアンチ・ヒーローや、球界の裏方たちの物語ー

早世した作家による野球作品だけを集めた新たな傑作選。

角川新書カバーより

熊野堂
熊野堂

選抜高校野球が開幕しました。山際淳司の作品はプロ世界だけではありません。高校野球にも名作があります。野球の中に眠る誰も知らなかった物語を描く手法は圧巻。しかも、今読んでも古くない。スポーツ好きも、そうでもない人もこのノンフィクションは必読。

お薦め度 

ポイント

・熱血じゃない高校野球

・裏方の美学

・雑草魂

・スターの事情

熱血じゃない高校野球

 高校球児は爽やか、はつらつ、熱血ー。こんなイメージを持つ人が多いと思います。メディアもそうした視点で取り上げているからです。でも現実は別にそうではないですよね。そのイメージに寄せにいって、そう演じている球児もいますが、大抵は他の高校生、今どきの高校生となんら変わりはありません。

 作品集の中で一番好きなのは「スローカーブを、もう一球」。高校野球を題材にしていますが、舞台は甲子園ではありません。秋の関東大会準決勝、選抜出場を決める重要な試合です。

 主人公の投手、川端がいい。厳しい練習は好まない。走ることは嫌い。「ピンチになれば逃げればいいんです」。これだけでも一般的な高校球児、エースのイメージを裏切っています。なので力で押し切るタイプではありません。武器はタイトル通りのスローカーブ。打ち気をそらすスローカーブを要所で決め、大会を勝ち上がってきました。何年か前に超スローカーブが甲子園で賛否両論を呼びましたが、なぜ議論になるのか分かりません。ストレートだけが真っ向勝負でしょうか?思考停止状態の人が多いのが怖いです。

 この話がマンガ的に面白いのは監督の存在もあります。野球経験ほとんどゼロ。これが逆に選手を落ち着かさせ、対戦相手を困惑させ、あれよあれよと勝ち進んでいきます。甲子園なんていくつもりじゃなかったのに…という展開はシリアスなのかコメディなのか。思わず笑ってしまうエピソードも満載です。

 かつて甲子園に届かなった元球児、プロをあきらめた元球児の熱血指導のものと、チーム一丸で甲子園を目指す。エースは速球が武器の本格派、、、みたいなステレオタイプでない高校野球を楽しみたい人は必読です。

裏方の美学

 山際作品の面白さはヒーローだけが主役ではないところです。「バッティング投手」はタイトル通りヤクルトのバッティング投手が主人公です。バッティング投手は、一般的な投手とはまるで違います。自分のチームのバッターがコンディションを整えるために投げます。空振りさせるためではありません。打ち頃の球ばかり投げるわけではありませんが、コーナーぎりぎりの場合もその球を打ってもらうために投げるのです。選手名鑑に記載の一言が役割を物語っています。「ヤクルトのバッター全員に3割を打ってほしい」。

 扱いは選手ではなく、球団職員。ところが急遽、選手として契約し、一軍入りを果たすことになります。初めて立つ一軍のマウンドは。華々しいデビューとは異なるバッティング投手の変身は、いろいろなものを重ねて読まれるのではないでしょうか。

雑草魂

 プロで活躍する選手はエリート街道を突っ走て来た人が多い。そのぐらいの実力がないとプロになるのは難しい。でも、野球でもサッカーでも、トップに上り詰めている選手の中に、若い時代には全くというほど無名だった選手もいます。

 「テスト生」の主人公・森田は、秋田県出身。中学時代は普通の選手。全く注目されることなく、強豪の高校から声をかけられることもありませんでした。仮に強豪校に進んでいたら「3年間球拾いだった」とコメントしています。そこで選んだのが金足農業。それまで甲子園の出場経験はないけれど、県大会では上位に食い込める。そのレベルのチームでした。何年か前、甲子園準優勝で一躍脚光を浴びた高校ですね。

 森田は社会人野球を経て、ドラフト外で巨人に入団します。契約金500万円、年俸240万円。社会人時代の初任給は9万6千円。「いきなりプロになっていたら金銭感覚がマヒしちゃう」と述懐しています。違う世界を見てきた人には強みがある。雑草魂ですね。

 キャンプで同室だったのは高校球界で注目された水野。「5万円をどこかに置き忘れてきた、とケロッとしている。さすがに大物だけどね」というコメントが紹介されています。まあ、水野はプロの世界でそこまで大物にはなれなかった気がしますが…。

スターの事情

 本のタイトルになっている「江夏の21球」に触れないわけにはいきません。主人公は当時のスター選手、江夏。舞台は激しく競り合う日本シリーズ、広島対近鉄です。白熱の試合を江夏はもちろん、相手の打者、監督などさまざまな視点で描写する力がすごい。さすがに名作と呼ばれる作品です。

 好きなシーンがあります。3勝3敗の日本シリーズ最終戦、4-3わずか1点リードの9回裏最後の守備。リリーフエースの江夏がマウンドにいながら、古葉監督はブルペンに選手を送ります。「なにしとんかい」と自尊心を傷つけられた江夏、一方、古葉監督はもし同点になって延長に入った場合、江夏の打順でピンチヒッターを出すため、替えの投手が必要になると実務的に考えていただけだったという。感情論と実務論、二つの構図が会社生活とも当てはまるようで興味深かったです。

 登場選手や球団名は懐かしい。僕らでぎりぎりリアルを知っている世代かなと思います。

編集後記

 スポーツのドラマを掘り下げる力に脱帽します。山際淳司は1995年に46歳の若さで亡くなっています。もう僕より年下なんですよね。その後も活動できていたらどんな名作が生まれていたか。こんなドラマを野球以外、日常生活から発掘しないと。ジャンルは違えど、記者としてとても勉強になりました。

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