父親とあまり話したことがない方へ|銀河鉄道の父

処方

銀河鉄道の父(門井慶喜)

効能・注意

・明治時代にこんな父がいたのかと驚き。

・宮沢賢治作品の生まれた背景が見えます。

・宮沢賢治ファンは幻滅するかもしれません。

こんな話

 政次郎の長男・賢治は、適当な理由をつけては金の無心をするような困った息子政次郎は厳格な父親であろうと努めるも、賢治のためなら、とつい甘やかしてしまう。やがて妹の病気を機に、賢治は筆を執るー。天才・宮沢賢治の生涯を父の視線を通して活写する直木賞受賞作。

明治の父親

 明治時代の父親は厳しいイメージがあります。亡き祖父は明治生まれの人で、孫には全然厳しくなかったけれど、父や叔父、叔母たちは明らかに祖父と接するとき、緊張感がありました。

 ところが、賢治の父は厳しく徹しきれません。賢治が子供の頃、赤痢の疑いで入院することになった時、病室に泊まり込みで付き添います。当時は、看護師が病室の女中として扱われていた時代です。それを家長がやるというのは、前代未聞だったようです。

ダメっぷり全開の賢治

 父の政次郎は商才があり、富を築きました。一方、賢治はまったくダメです。飴のハードドロップスの工場を作ると言い出し、計画をとくとくと語りますが、資金は父からの提供をあてにしていました。賢治はことあるごとに無心の手紙を送ります。中学生の頃から洋書を買うとか、友達が病気になったとか。思いつく限りの名目を立てて、手紙で金をせびっていたのです。嘘をついていたわけでもない。本当にそのために使ったのでしょうが、必要なお金を得るために倹約するという感覚は皆無でした。

 浪費家だったのです。「賢治から金離れのよさを奪ったら、人が去ってしまう」。その心配をぬぐえず、結局金を工面してしまう政次郎。ここまで見事な親のすねかじり。現代でもよっぽど金持ちの家だけでしょうね。僕の身近にはいません。

童話誕生の背景

 賢治はなぜ大人向けの小説や論文、漢詩などではなく、童話を書いたのか。賢治は昔から大人がダメでした。大人は怒るし、怒鳴るし、嘘もつく。あらゆる詭弁を平気で弄する。子どもにもそれはあるけれど、大人に比べれば他愛のないレベル。だから童話なら安心して書けたというのが、政次郎の見立てです。

 より根本的な別の理由があります。世渡りの才能がなく、健康な体もなく、嫁の来てもない。自分は父になれない。自分にできることは子供の代わりに、童話を生むことだったというのです。こういうところも、現代っ子気質に感じます。

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