きみの友だち(重松清)
こんな話
わたしは「みんな」を信じない。だからあんたと一緒にいるー。足の不自由な恵美ちゃんと病気がちな由香ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスの誰とも付き合わなくなった。優等生にひねくれた奴、弱虫に八方美人。それぞれの物語がちりばめられた「友達」の本当の意味を探す連作長編。
友達は多い?少ない?
こう聞かれたら僕は迷わず「少ない」と答えます。友達が多いのはいいことだとは思います。でも、多い方がいいとは思わない。友達の定義にもよりますが、「友達が多い」と吹聴する人はどこかうさんくさい。「それって、本当に友達なの」と疑問に思ってしまいます。
じゃあ、どんな人が友達なのか。恵美ちゃんはこう言います。「私は、一緒にいなくても寂しくない相手のこと、友達って思うけど」。友達はたくさん必要でしょうか。恵美ちゃんはこうも言います。「いなくなっても一生忘れない友達が、一人、いればいい」。
無理に誰かと一緒にいること、「ぼっち」を恥ずかしがること。そんな必要はありません。友達に悩むすべての世代に読んでもらいたい作品です。
登場するのはあの人、もしくは自分
登場人物はどれも身近にいるような人ばかり。もしかしたら、「これは自分の話だ」と思う回もあるかもしれません。部活の先輩が引退した後の方が熱心に顔を出し、後輩にいばりちらす。しかも、そんな先輩に限って現役時代は補欠だった。そんな「あるある」が詰まっています。
八方美人で周りに合わせてばかりの女の子は、カメレオンに興味を持ちます。カメレオンの飼育員さんの言葉。「カメレオンは何匹も飼っていると、すぐに順位ができる。強いのと、弱いのと。一回順位がつくとひっくり返せない。だから一番弱い奴は、ずーっとびくびくしたままなんだ」。
学校という狭い空間。特に地方の小規模校では人間関係が固定されがちです。でも、それは永遠には続かない。環境も友達も変わっていきます。「きみ」も変われます。
語り手の正体は
各話の主人公は小中高校生。主人公の視点はもちろん、親の視点、クラスメイトの視点、兄弟の視点…。いろいろな視点が入り混じり、一粒で二度も三度もおいしい。主人公は各話違いますが、共通するのは語り手。「きみ」の話をしているのは誰か。ストーリーの軸になる恵美ちゃんでも、由香ちゃんでもない。最後まで読むとその正体が分かります。グランドフィナーレ的な最終章は「にやけ」が止まりません。