十二国記シリーズ
図南の翼(小野不由美)
こんな話
恭国(きょうこく)は先王が倒れて27年、王不在のまま治安は乱れ、妖魔が徘徊していた。首都に住む少女・珠晶(しゅしょう)は豪商の父のもと、なに不自由ない暮らしを与えられ、闊達な娘に育つ。王になるには困難な旅を経て、蓬山(ほうざん)に向かい、そこで麒麟に選ばれなければならない。誰も行動しないまま、混迷深まる国を憂える珠晶はついに決断する。「大人が行かないなら、私が行く」。12歳の少女は王に選ばれるのか━。
新しいロードノベル
珠晶が旅するのは妖魔が跋扈する黄海(海ではない)。旅のお供は黄海で幼獣を狩る一族の頑丘(がんきゅう)と、ひょうひょうとした謎の青年・利広(りこう)。利発だけれど、幼さも残る珠晶が仲間と衝突したり、壁にぶち当たったりしながら成長していきます。ファンタジーの世界を借りた上質のロードノベル。
頑丘と衝突する原因になったのが過酷な黄海での助け合い。他の旅のグループに黄海での知恵を教えないのは卑怯だと責める珠晶に、頑丘は「助け合うというのは最低限のことができる人間同士が集まって初めて意味がある。できる人間ができない人間をただ助ける一方なのは、助け合いじゃない。荷物を抱えるっていうんだ」。分け与えるだけでは全滅する。珠晶は後に実感し、生きる厳しさを知ることになります。
愚痴だけで終わる大人になっていないか
なぜ王は現れないのか。現状を嘆くだけの大人に珠晶は「どうして誰も王になろうとしないんだ。大人は王が現れないと怒っておいて、自分は王になんてなれるはずがないという。だから、まず自分で行こうと思った。やるべきことをやって嘆けばって言ってやれるから」。学校でも会社でも、社会でも国家でも。「おかしい」と怒る人も冷笑する人もいるけれど、それを変えようと行動する人は少ない。珠晶の行動力と周囲の巻き込み力は、閉塞感漂う時代に欠かせないものです。
ちなみに図南の翼とは、大きな事業を遠い地で成そうとする志や計画を意味することわざだそうです。
シリーズ6作目ですが
十二国記シリーズの外伝的な作品。シリーズには大きく二つの物語の流れがありますが、この作品はそのどちらでもないので(もちろん、緩やかにつながってはいますが)、この作品から読むのもありです。ヒロインの珠晶はすでに、別作品に出ているのですが、それを知らなくても楽しめます。唯一、ある人物が名乗るシーンがあるのですが、ここだけはシリーズの別作品を先に読んでいた方が感慨深い。でも、読んでいた人も気づかないかもというシーンなので、大丈夫。興味を持ったら他の作品も読んでみましょう。