ライ麦畑でつかまえて(J.Dサリンジャー)
こんな話
インチキ野郎は大嫌い! おとなの儀礼的な処世術やまやかしに反発し、虚栄と悪の華に飾られた巨大な人工都市ニューヨークの街を、たったひとりでさまよいつづける16歳の少年の目に映るのは何か? 病める高度文明社会への辛辣な批判を秘めて若い世代の共感を呼ぶ永遠のベストセラー。
ハマる人、苦手な人
青春系の物語は基本好きですが、若者っぽい自分の精神世界の中で思いついた批判を繰り返す作品は実は苦手です。なぜかと考えた時、若い頃の自分と重なるからかもしれません。いろいろなことに反発して、世の中を批判ばかりしていました。でも、自分で何かを成し遂げたことは一つなかった。批判は無力な自分を守る張りぼてにすぎなかった気がします。社会人になって、特に最初に入った会社では徹底的に頭を打ちました。いろいろな社会批判なんかここではまるで通じない。それより、現実的に納期までにこれだけでの仕事をしなければならないというノルマだけが正義。そこで、社会との戦い方を少し学んだ気がします。批判的なのは今も変わらないけれど、自分を守るだけでなく、愚痴るだけでもなく、少しでも何かをよくするための批判ができるようになってきたかな。
反抗心への共感
もちろん、大人になった今も16歳の主人公に共感するところは多々あります。「はっきり言って牧師というものに我慢できない。そいつらは説教を垂れる時には、いつもあのおためごかしな声を持ち出してくるんだ。やれやれ、あの声は本当にたまらないんだよ。どうして普段の声で話ができないんだろうね。あれってほんとにインチキっぽいしゃべり方なんだもんな」。新興宗教に限らず、共通したものを感じます。
タイトルの不思議
原題はキャッチャー・イン・ザ・ライ。直訳するとライ麦畑で捕まえる人、かもしれない。ストーリーはライ麦畑に関係なく進んでいきますが、終盤でタイトルに関わるシーンが出てきます。主人公がなりたい自分を語った言葉。「ただっぴろいライ麦畑で何千人の子供たちがいる。僕はそのへんの崖っぷちに立っていて、誰か崖から落ちそうな子供がいると、片っ端からつかまえる。ライ麦畑のキャッチャー。そういうものになりたい」。抽象的だけれど、主人公の奥底が見えるシーンです。それを踏まえて、主人公が捕まえてほしかったという意味を込めた訳になっている、のかもしれません。