社会派ミステリーを堪能したい方へ|朱色の化身

処方

朱色の化身(塩田武士)

効能・注意

・取材の醍醐味が味わえます。

・マスと個のバランスについて考えられます。

・ネット社会の情報発信とは

こんな話

 ライターの大路亨は、がんを患う元新聞記者の父から辻珠緒という女性に会えないかと依頼を受ける。一世を風靡したゲームの開発者として知られた珠緒だったが、突如姿を消した。珠緒の元夫や大学の学友、銀行時代の同僚などを通じて行方を追い始めた亨は、彼女の人生に昭和31年に起きた福井の大火が大きな影響を及ぼしていることに気づく。「実在」する情報をもとに丹念に紡いだ社会派ミステリー

まるで取材体験

 「罪の声」などで知られる作者は、元新聞記者。取材過程はとてもリアルです。生々しいインタビューをそのまま物語に落とし込んでいます。第一章はさまざまな関係者の証言集。証言者の名前がタイトルとなり、証言者が話している言葉だけで構成しています。もちろん、珠緒と証言者の関係によって質問内容も違うし、珠緒への捉え方も違う。記事はこうしていくつもの声を集め、発見したものでできています。証言者だけが知っていることがそのままニュースになることもあるし、証言を集めることで、それぞれの証言者が知らなかった真実が浮かびあがることもある。そんな取材の醍醐味が味わえます。

マスと個

 新聞紙面には限りがあるので、掲載するかしないかをどこかで線引きしなければなりません。ニュースの大きさを決める要素は、どれだけ多くの人に影響を与えるか、身近な問題か、意外性はあるか―などの基準があります。事件事故もそうで、作中ではひったくりがあまりに多く(地方ではこんなに多発しませんが)、どこまでを掲載するか被害金額で一定の線を引くことにします。

 この判断は正しくはあるけれど、基準に合わずなかったことにされた事案に伝えるべき物語があるかもしれない。それが何の考慮もなく切り捨てられてしまう問題もあります。作中ではひったくり特集で取材した被害女性が、カバンに入れていた額は5千円。通常の記事では掲載の対象外でした。ところが、話を聞くと金額より盗られたバッグに思い入れがありました。早くに亡くなった姉の形見だったのです。

 「掲載判断にマスの視点が必要だが、そこで思考停止になってしまうと個の尊重が消えてしまう」。新聞だけでなく、社会全体で考えるべき問題ではないでしょうか。

ネット時代の情報発信

 大手新聞社を退職した大路は一時期、クライアントのブランドイメージ向上をアシストするためのWEBコンテンツ制作に携わっていました。ニュース解説とエッセイの編集。でも、すぐその仕事にも辟易とします。

 SNSによる個人的な情報発信が定着してから「慧眼を持つ自分に酔っている文章」が散見されるようになった。より本質的なことを言いたがる人々の青くさい承認欲求。年齢に関係なくライターたちの文章には決定的に臨場感がなかった。現場から得た気づきがなかった。また気づきから得た言葉もなかった。言葉に鍛えが入っていないから教訓めいた偉そうな文章の域を出ず、既視感のある筋に話がまとまってしまう。

 毎日、文章に向き合う者として共感し、自省させられます。

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