救われてんじゃねえよ(上村裕香)
主人公の沙智は、難病の母を介護しながら高校に通う17歳。母の排泄介助をしていると言ったら、担任の先生におおげさなくらい同情された。「わたしは不幸自慢スカウターでいえば結構戦闘力高めなんだと思う」。誰かの力を借りないと笑うこともできない彼女を生かしたのは、くだらない偶然。しかしそれは、かけがえのない奇跡だった――。
介護に沈んだ少女が、親から自分自身を取り戻していく物語。(新潮社ホームページより)

ヤングケアラーの話だけれど、重苦しいだけではない。笑って、泣けて、現代の問題を考えさせられる。ヤングケアラーはとても身近にあるし、あなたもそうかも(そうだったかかも)しれない。社会問題を身近に感じたい人にお薦め。
お薦め度
ヤングケアラーとは
ヤングケアラーとは何か。こども家庭庁のホームページに説明があります。
「ヤングケアラー」とは、“本来大人が担うと想定されている
家事や家族の世話などを日常的に行っているこども・若者”のこと。
こどもが家事や家族の世話をすることは、ごく普通のことだと思われるかもしれません。
でも、ヤングケアラーは、本当なら享受できたはずの、
勉強に励む時間、部活に打ち込む時間、
将来に思いを巡らせる時間、友人との他愛ない時間…
これらの「こどもとしての時間」と引き換えに、
家事や家族の世話をしていることがあります。
まわりの人が気付き、声をかけ、手を差し伸べることで、
ヤングケアラーが「自分は一人じゃない」「誰かに頼ってもいいんだ」と思える、
「こどもがこどもでいられる街」を、みんなでつくっていきませんか。
みなさんはこんな体験はないでしょうか。自身でなくても、実は身近にはこうしたヤングケアラーが結構いるはずです。
共依存
主人公の沙智は高校時代、完全にヤングケアラーでした。難病の母の世話はしないといけなし、父はほぼ戦力にならない。そして両親とも自身の高校生活、将来の進路を邪魔する存在に感じます。「力になるよ」といってくれる人も、実用的な役には立たない。
無事に奨学金を得て、東京の大学(主人公の地元は佐賀県)に進学し、元ヤングケアラーとなりますが、地元企業へのインターンのため帰省すると、たちまちヤングケアラーに逆戻り。両親の世話に振り回されます。でも、その世話本当にやらなければいけないのか。主人公は頼られることに安心している自分も感じます。親子の共依存の関係ができる。これがヤングケアラーの沼なのかもしれません。家族を大切にしたい思いと、自由に生きたい思いがぶつかる。抜け出したいはずなのに、積極的に抜け出せない世界です。
お金の使い方
主人公の家庭は結構貧しい。築50年の県営住宅は8畳1間。そこで親子3人が暮らしています。父の年収は300万円未満。奨学金があったとしても、よく大学に進学できたなというような環境です。そして、貧しい暮らしをしている人ほど、お金の使い方が上手ではない。母親に障害者年金が入ることが決まり、喜んだ矢先に、父は10万円もするデジタル一眼レフカメラを買ってきてしまう。趣味で撮るというが、そんな趣味はないはず。どうせすぐに使わなくなる。そこで、騒動が起こります。
僕の両親というか、父親もそうです。お金を持つと(僕から見ると)買わなくていいものを買ってしまう。実家に帰って、新しい電化製品が増えていると愕然とします。せっかくお金を送っても生活のために使っていない。健康器具やホームベーカリーとか、絶対1、2回しか使わないだろうというものであふれています。しかも、新聞折り込みなどの怪しい商品も多い。本当に他人ごとではないなと思って読みました。
R18文学賞
作品はR18文学賞の大賞受賞作です。女による、女のためのR18文学賞。応募は女性に限定、新潮社の女性編集者が第一次〜第三次選考を担当した後、窪美澄さん、東村アキコさん、柚木麻子さんが選考委員として、選ばれた候補作品の中から大賞を決めています。R18とありますが、そこまで大人向け(子ども向けではない)という感じの作品でもありません。
文学は女性作家という肩書を使うこともほとんどなくなるくらいに、女性が活躍しているように思いますが、まだ女性くくりが必要な現状もあるのかもしれません。応募は女性限定ですが、読むのは男性もありですよね。
編集後記
皮肉たっぷりの社会派小説家と思ったら、結構笑える作品。ネタとして、小島よしお、林修も出てきます。これ10年後というか、いま小学生の子が大人になった時、読んで分かるかな。でも、その今を切り取っている感じは、違う時代の作家には出せないので貴重です。