嫌なニュースが多いけれど、世の中捨てたもんじゃない/それは誠

小説

それは誠(乗代雄介)

 第169回芥川賞候補作に選ばれた、いま最も期待を集める作家の最新中編小説。修学旅行で東京を訪れた高校生たちが、コースを外れた小さな冒険を試みる。その一日の、なにげない会話や出来事から、生の輝きが浮かび上がり、えも言われぬ感動がこみ上げる名編。

文藝春秋ホームページより
熊野堂
熊野堂

何気ない日常がちょっと変わって見える。そんな青春小説。登場人物のキャラが立ちすぎてもないし、劇的なことが起こるわけでもない。でも、だからかな。この時間を一緒に過ごしたい。そう思わせてくれる青春小説です。リア充でない人、陰キャの人によりお薦めかも。

お薦め度 

ポイント

・陰キャ、陽キャ

・修学旅行

・場所の力

・黒ひげ危機一発

陰キャ、陽キャ

 僕たちが高校生の頃はなかった陰キャ、陽キャという言葉。なかったけれど、そうしたカテゴリーはありました。僕なんかは陰キャですよね。必ずしも隅っこにいるタイプではなかったけれど、どちらかに分けるなら陰キャ。カーストに組み込むと結構下の方だったと思います。なので、青春とは縁遠い高校生活を送っていましたが、だから憧れが強いのか。青春小説は好きです。

 この物語の主人公、誠はちょっと学校を休みがちな男子学生。休んでいる間に修学旅行の班分けが行われ、入れられた班は陰キャと陽キャが混在する、優等生も混じっているちょっと雑多な班。それが自由行動でどこへ行くか、話し合っていくうちに、ゆるやかにつながりができ、1日限りの冒険が始まります。

 主人公の目的は生き別れになったおじさんに会うこと。両親を亡くし、みんなとはちょっと異なる環境で暮らす主人公が関りなんていいらないと思っていたのに、特待生の男子生徒、吃音の男子生徒、陽気な女子生徒らとちょっといい関係を築いていく。その過程の描き方がいいです。ここにいたら、自分はどんな役割だろうと考えながら読むとまた楽しいかも。

修学旅行

 修学旅行は学校生活の一大イベントですが、僕らの時代も行きたくないという人は少しいました。今もいるかなと思います。逆に普段は学校にあまり行かないのに、修学旅行だけは行きたいとい人も。学年でみんなで旅行する。学校時代以外はもう考えられない行事ですね。

関西ならUSJ、関東ならディズニーランド、東海なら長島スパーランドなど遊園地はド定番。そんなところは卒業してから自分でいくらでもいける。修学旅行なのだから、もっと勉強になるところに行け、というのは正論ですが、本当にそれでいいでしょうか。僕なんかもそうですが、修学旅行ぐらいでしか行かない人が一定数います。そして、何よりこのメンバーで旅行するなんてもう金輪際ない。このメンバー、この時間は今だけ、修学旅行だけなんです。僕はディズニーとかは全然興味ないですが、修学旅行ならありと思っています。

 僕らの時代は決められたスケジュールで旅行する団体旅行の典型みたいな感じでしたが、今は自由行動の時間が結構あるようです。そこでどこに行くか。さらにどんなメンバーで行くか。考えることはいろいろ増えそうですが、楽しそうです。

場所の力

 主人公の修学旅行先は東京。そして、自由行動で目指すのは日野市です。関西在住者にとって、それってどこ?東京にあるの?と思ってしまう街です。あまり有名でない日野市の描写がすごいリアルです。A市、とあるまち的な名前では、なかなかこの力は出せません。作者は目当ての場所を決めたら、そこに1カ月くらい泊まり込んで、あらゆる時間帯にいろんな行き方で同じ場所を歩き回って、見たものをその場で書きとめていくそうです。作品の中に実際に見たシーンが出てきます。自分で考えたことのない場面も出てくる。本当にある物語が生まれます。

 男子と女子が別行動をとって、あとで合流するのですが、その方法も土地勘があればなるほどと思うかも。僕は路線面を聞いても全然イメージできないですが。

 作品中でもちょろっと出てきますが、日野市って新選組ゆかりの町なんですよね。「それは誠」のタイトルと絡めて舞台になったのかどうか分かりません。

黒ひげ危機一発

 危機一髪はこう書くのですが、商品名は一発のようですね。誰もが知っているゲームですが、その設定を知っていますか?本筋とはそう関係ないのですが、黒ひげ危機一発が物語の会話に出てきて、それを模した勝負が行われます。

 樽にナイフを刺していって、中に入っている海賊が飛び出したら負け。僕の認識はこうでした。そもそも、刺したのになんで飛び出してくるのか。よく考えたら不思議です。でも、初期設定はどうも違うようです。ナイフを刺すのは縛られている海賊を助けるためにロープを切っているんですね。ロープが切れて、脱出に成功して飛び出す。つまり、助けた方、飛び出させた方が勝ちなのが本来のルールなんです。それが、いろいろと時代を経て、飛び出した方が負けルールが浸透したようです。

 初期設定と時間経過後の設定が違うことは人生でも、人間関係でもあります。登場人物の初期設定は、この班分けがなければ交わらない者がほとんどでした。それが秘密を共有し、ちょっとした冒険を実行することで変わっていく。危機一髪ほどのスリルはないですが、なんでもない風景が一変する瞬間を感じられるかもしれません。

編集後記

 世の中捨てたものじゃないと感じさせてくれる作品でした。純文学の世界では、なかなかこういう展開になりません。世の中、捨てることに美学を感じているような作品が多い。ハッピーエンドは文学的価値が低いと思い込んでいる人もいます。傑作とまでは思いませんが、主人公の同世代の学生にはぜひ読んでもらいたい作品です。かつての高校生でももちろん楽しめます。

 

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