寛容性があって多様な社会って/東京都同情塔

小説

東京都同情塔(九段理江)

ザハの国立競技場が完成し、寛容論が浸透したもう一つの日本で、新しい刑務所「シンパシータワートーキョー」が建てられることに。犯罪者に寛容になれない建築家・牧名は、仕事と信条の乖離に苦悩しながら、パワフルに未来を追求する。ゆるふわな言葉と実のない正義の関係を豊かなフロウで暴く、生成AI時代の預言の書。第170回 芥川龍之介賞

新潮社公式サイトより
熊野堂
熊野堂

寛容性とか多様性を叫ぶほど、寛容でも多様でもなくなったり、マスク警察的なのが現れて悲劇なのかコメディーなのか分からなくなります。そんな時代を皮肉ったような作品。引用したサイトの紹介文は僕としてはちょっと違うなと思ってしまうけど、寛容に受け止めます。なんで世の中、生きにくいの?と感じる人はぜひ。

お薦め度 

ポイント

・AI

・言葉で対話

・ディストピアかユートピアか

・人間

AI

 この作品が一躍有名になったのは芥川賞を受賞したことはもちろんですが、受賞会見での発言です。「全体の5%は生成AIを利用して書いた」。それが切り取られ、曲解され「AIで書いた作品が芥川賞を獲った」となるのに時間はかかりませんでした。もちろん、小説をAIに書かせたわけではありません。

 一方で、随所に登場するAIの場面で、AIが作り出す言葉を利用しているのも事実です。無機質なAIの文章が作為的に用いられ、温度感のない世界を描いています。さらに作中で登場人物がAIを使って文章を書くシーンもあります。昨年はチャットGPTが何かと話題になりました。これからさまざまな場面で使用されるでしょう。

 でも作品の中では、大事な人には自分で語りたいと思う気持ちも描かれています。時代が変わっても根幹の変わらない部分はきっとあるのだと思います。ちなみに、この記事にAIは一切使用しておりません。

言葉で対話

「言葉で対話することを諦めたくないすべての人々へ」というのが作者からの呼びかけです。作品には言葉に対する思考が詰まってます。

 外来語についてのくだり。浮浪者=ホームレス、育児放棄=ネグレクト、性的少数者=セクシャル・マイノリティ、母子家庭=シングルマザー、配偶者=パートナー…。なんだかマイルドになるような。それで言葉の本当の意味が伝わるのかどうか。

 言葉は不思議です。あるもの、コトに言葉(名前)を与えると伝えやすくなります。でも、そのことで意味が変わってしまうことがあります。違う意味に伝わってしまうことがあります。寛容性とか多様性とかもそうかもしれません。

 簡単な言葉に置き換えることで、失われる本質がある。それを意識して言葉を使い、対話していきたいものですね。

ディストピアとユートピア

 作品中で犯罪者はホモ・ミゼラビリスと「変換」されます。僕のパソコンには登録されていない文字。「犯罪者」と呼ばれ差別されてきた人々を、その出自や境遇やパーソナリティーについて「不憫」「あわれ」「かわいそう」といった同情的な視点を示し、「同情されるべき人々」と再定義しています。そして、犯罪者ならぬホモ・ミゼラビリスは、快適な空間である東京同情塔で何不自由なく(外出の自由はないが)暮らします。

 これはディストピアかユートピアか。犯罪に走る人にさまざまな境遇があること、逆に犯罪を犯さない人はその人自身が立派というより、単に犯罪に陥りにくい環境にいること。これは事実としてあります。犯罪行為はいけないけれど、そこに至る理由を無視するのもフェアではありません。でも、その突き詰めた先がこの世界なのか。

 作品はディストピアとして皮肉っているわけですが、読む人によってはユートピアととらえるかもしれません。その実験的な作風が僕は面白いと思いますが、ぜひ読んでみてご判断ください。

人間

 人とAIはどう違うのか。その文章を見分けることができるのか。なかなか難しい問題ですが、今のところ会話においては人とAIは冗長率(意味伝達と関係のない言葉が含まれる割合)はずいぶん違う気がします。本筋と関係ない話も交え、会話をしやすくなることがあります。AIは即答します(たぶん)。必要な部分を的確に探して、すぐに答える。もちろん、覚えさせれば冗長率を高めることができるのでしょうが、それは冗長率を高めるためにするのであって、会話を円滑にするためのものではないでしょう。 

 人には無駄、というか余白的なものをうまく使って暮らしてきました。単純に目的を達成すればいい、だけではない。それが無駄、余白を削ることが目的化され、AIと変わらなくなっていっているのではないでしょうか。

 作品の登場人物はいまいち生身の感覚、息遣いをかんじさせません。そうした意図で描いた物語だからでしょう。リアルすぎる近未来にぞっとさせられるかもしれません。

編集後記

 文章を書く仕事をしている者としてはいろいろと考えさせられる物語でした。批評性のある作品ですが、エンタメ性も高い。どちらかでなく、両方を兼ね備えているのは良作の条件。近年の芥川賞作品の中でもかなりレベルの高い作品だと感じます。他の作品も読んでみたくなりました。

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