暗い人、明るい人、ユーモアとは/走れメロス

小説

走れメロス(太宰治)

人間の信頼と友情の美しさを、簡潔な力強い文体で表現した「走れメロス」など、安定した実生活のものとで多彩な芸術的開花を示した中期の代表的短編集。「富士には、月見草がよく似合う」とある一節によって有名な「富嶽百景」、著者が得意とした女性の独白体の形式による傑作「女生徒」、10年間の東京生活を回顧した「東京八景」ほか、「駈込み訴え」「ダス・ゲマイネ」など。

新潮文庫カバーより

根強いファンがいる太宰治。僕はそんなに深く読んだことがなくて、教科書でちらっと読んだり、学生時代に図書館で借りて読んだくらい。あらためて中期の短編を読んでみると、暗いだけではない太宰のユーモアや小説のみならず、マンガやドラマに影響を与えたであろう独特の空気感が満載でした。太宰を読み直すなら、この短編集がお薦めです。

お薦め度 

ポイント

・暗い人にもユーモアがある

・自虐の原点

・多面性

・これを読んで

暗い人にもユーモアがある

 明るい人、暗い人という分類があります。明るいと言われている人にユーモアがあって、暗い人にはないと思われがちですが、それは人によります。ペラペラみんなの前でしゃべらないけれど、実は面白いことを考えている人は世の中に大勢います。そもそも表面上の明るさ、暗さも性格の明るさ、暗さを表していると言えません。

 太宰は基本的に暗いキャラクターと思われがちです。思いつめやすいし、ドラッグ中毒になるし、心中をはかったりするし。まあ、明るい、陽気な人ではなさそうです。ただ、作品の中には実はユーモアあふれるものも多い。熱心な太宰ファンには暗さを真似する人が多いようですが、その部分だけでは太宰の魅力を伝えるには足りない気がします。

自虐の原点

 自虐は笑いの一つのジャンルになっています。太宰は自分のダメっぷりを面白おかしく表現できる人のようです。「ダス・ゲマイネ」の登場人物は学生や画家ら若者で、太宰本人も小説家として登場します。主要な登場人物4人はいずれも太宰の分身的な要素があり、その4人が雑誌づくりをめぐって、やいのやいの議論します。苦悩や焦燥、困惑などがテーマですが、軽いタッチでユーモアを交えて描くセンスが絶妙。「まだ本気だしてないだけ」的なキャラクターなど、太宰の一部であり、私たちの一部でもあります。本来は自分1人で行う自問自答が、キャラが分裂して会話形式になっている。そんな感覚の作品です。これを読むと、現代のマンガやドラマに通じる要素を感じます。

 本人が主人公の「帰去来」では冒頭、こんな告白があります。「人の世話にばかりなって来ました。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きてきました。これからも、やっぱり、のほほん顔で生きて行くのかもしれない。そうして、そのかずかずの大恩に報いることは、恐らく死ぬまでできないのではあるまいか。と思えば流石に少し、つらいでのである」

 困った人は自分を客観視できないのかと思いきや、本人も分かっているんです。多くの人に支えられて、のほほん顔で暮らしていることが。もちろん、全く自覚のない人もまた多いのですが。本好きの人なら、この感覚を多かれ、少なかれ持っているのではないでしょうか。

多面性

 大学は中退。非合法運動に関係するが、脱落。バーの女性と心中をはかり、自分だけ助かる。薬物中毒になる。流行作家になるが、入水自殺する。決して道徳的と言える人生でない太宰ですが、「走れメロス」は正統派中の正統派。実際に読んだことのない人でもタイトルやストーリーは知っている人が多いはずです。

 作品の変化には実生活の充実ぶりがあるようです。実生活の変化が感じられるのは「富嶽百景」。いろいろなところから富士を眺め、そこで抱く感想が心境の変化を表しているようにどんどん変わっていく。これも本人が主人公としてそのまま登場しています。この作品の最後のいたずらは、とてもユーモアにあふれています。太宰の余裕が感じられる終わり方。ユーモアなんだけど、実際にこのいたずらをされた人は怒り狂うだろうなという点も作品としてとてもいい。自虐ではない笑いがあります。

これを読んで

 短編集で初めて読んだのが「駈込み訴え」。タイトルからして、時代劇なのかなと。本当に最初の冒頭部分はそんな気持ちで読んでると、そんな雰囲気です。でも、時代は江戸時代なんかではありません。そもそも舞台が日本ではありません。キリストの最期を語る有名なエピソードを、裏切り者とされるユダの視点から描いています。僕はキリスト教徒ではないので、このエピソードに詳しいわけではないし、通常はどんな解釈がされているのかよく知りません。でも、ユダは他の使徒とはキリストとの関わり方も違うかったようで、その辺の事情をうまく生かして、引きこまれる物語にしています。単なる裏切りものではない。ユダから見たキリスト。太宰の他の作品と異なる視点で、困ったちゃんを支える側の視点が新鮮です。この辺の技量はやっぱりすごい。太宰といえば、となかなかくくれない多彩な才能を感じられます。

 キリストの物語はさまざまな作品の題材になっていますし、それこそ絵画の「最後の晩餐」などもそうですよね。道原かつみのマンガ「ノリメタンゲレ」もこのエピソードをSFとして扱っていて面白いので、ぜひ読み比べてみてください。ただこの漫画のユダの(少年の)イメージが強くて、小説というか本来のユダは実際はおっさんだったのはわりとショックです(笑)

 

編集後記

 昨年、あらためてシャーロックホームズを読んでみて、新鮮だったので、過去に読んだけれど、手元にない本を読んでみたシリーズとして、太宰に手を出してみました。太宰は思春期に読むのが一番な気がしますが、大人になってから読むと面白い作品もあります。今年は大学時代以来で「罪と罰」も読んでみようかな。

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