コロナはまだ終わっていない

小説

ペスト(カミュ)

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーはネズミの死がいをいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部を遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と書くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描きこみ圧倒的共感を呼んだ長編。

新潮文庫カバーより

新型コロナウイルスの登場で、一躍「予言の書」として注目された小説。爆発的に広がる感染、行動が制限されたまち、収束期の反応、確かに現実の世界で起こっていることにリンクする。ペストに限らず、質の高い小説は純文学であれ、SFであれ、こうした要素がある。コロナを忘れてしまわないために読んでおきたい1冊。

お薦め度 

ポイント

・予言

・変わるもの、変わらないもの

・コロナの終わり

予言

 天災というのはざらにあるが、こっちの頭上に降りかかってきた時、容易に天災とは信じられない。この世には戦争と同じくらいの数のペストがあった。しかも、ペストや戦争がやってきた時、人々はいつも同じくらい無用意な状態にあった。

 戦争が勃発すると、人々はいう。「こいつは長く続かないだろう、あまりにばかげたことだから」。しかし、愚行は常にしつこく続けられるものである。

 ペストが広がり出した冒頭の描写。これは新型コロナにも当てはまる。国境超えて人も物も行きかう時代。世界的なウイルスの流行を予見している人はいた。でも、まさか。先進国では。島国の日本では。大半の人は無用意な状態でコロナ禍に突入した。そして「そんなに続くはずがない。夏が来れば収まるだろう」と希望的観測を唱えた。

 日本のコロナとは違う風景もある。ペストで町は閉鎖される。食料の補給は制限され、ガソリンは割当制になる。歩行者の数が増え、大勢の人が街頭やカフェにあふれる。映画館は連日大盛況。日本では街頭から人が消え、飲食店は大打撃を受けた。ペストの方があきらかに致死率は高いのに反応はずいぶん違う。

変わるもの、変わらないもの

 ペストに遭遇して生き方を大きく変える人がいる。神父は最初、ペストを神の懲罰として、人々に悔い改めることを求めるが、罪のない幼児の死などに触れ、大きく変わっていく。いいことも、悪いことも神様のせいなんかではない。人が向き合わないといけない。たまたま取材に訪れていたまちでペストに遭遇し、恋人と離れ離れになった新聞記者は、当初個人の幸福のみを追求し、まちを脱出する術を探していたが、やがて自分が今このまちの住人だと悟り、支援者側に回る。

 コロナで社会は変わっただろうか。地方移住する人が少し増え、リモートワークも増えた。不要な会議は姿を消した。しかし、少し落ち着くと東京への回帰が増え、出社が義務付けられ、会議も復活した。そんな中でも意識は変わったはず。会社で言えばリモートワークも、やってみたことで、直に会う大切さを再確認し、通常に戻ったり、対面・リモートのハイブリッドにするなりするなら、大きな変化である。何も変わっていない会社はより厳しい時代に突入することは間違いない。

コロナの終わりに

 まるでコロナが過去のことのように振る舞う人がいる。しかし、実際にコロナはすぐ隣にある。感染者はまた増えている。マスクの着脱は個人の自由だ。周囲の圧で着用していた人が、今度は別の方向の圧で外し始めている。着脱で表面上の行動は正反対だが、行動の原理はまるで同じ。自分で判断することがなんて苦手な国民なのだろうと実感する。

 コロナは終わっていない。気長に付き合うしかない。ペストの物語は急速にペストが力をなくし、終局へと向かう。でも主人公の医師は知っている。「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもない。数十年の間、家具や下着類のなかに眠り生存することができる」。ホラー映画の終わりのように、ハッピーエンドに見えて実はまだ終わっていない。小説の世界も現実の世界も同じである。

編集後記

 ペストは1947年の作品。でも、ほとんど時代差を感じさせない。良質な作品はその時代を反映しながら、さらに時を超える。新潮文庫版の発行は1969年。2020年で94刷。訳は多少固いが、十分読める。純文学だけでなく、エンタメ作品にもこうした良作がたくさんあるのに知られていないのは残念。そっちの普及に努めたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA