こちらあみ子(今村夏子)
あみ子は、少し風変わりな女の子。優しい父、一緒に登下校してくれる兄、書道教室の先生でお腹に赤ちゃんがいる母、憧れの同級生のり君。純粋なあみ子の行動が、周囲の人々を否応なしに変えていく過程を少女の無垢な視線で鮮やかに描き、独自の世界を示した、第26回太宰治賞、第24回三島由紀夫賞受賞の異才のデビュー作。他に「ピクニック」「チズさん」収録。
ちくま文庫カバーより
映画「花束みたいな恋をした」を観た多くの人がひかかったセリフ。今村夏子の「ピクニック」って。全然読んだことのない作家だったので、妙に気になって買ってしまいました。なるほど、映画の登場人物のいわんとすることは分かる。決して面白い作品ではないですが、妙に刺さる部分はある。分かりやすいエンタメが好きな人は読まない方がいいです。
お薦め度
タイトルが秀逸
「こちらあみ子」 あらすじは概ねそうだが、内容の印象は少し、いや結構違う。あみ子は発達障害のようで、察するみたいなことは苦手だ。決して他人のことを考えていないわけでなく、むしろいいことをしようとするのだが、それが通じないし、届かない。大抵裏目に出てしまい、ますます周囲との距離が開いていく。学校だけでなく、家族との距離もどんどん遠くなっていく。その辺の描写がリアルだ。
象徴的なのが10歳の誕生日にもらった「トランシーバー」。もうすぐ生まれるはずの弟か妹(あみ子は弟と信じている)とスパイごっこをしようと楽しみにしているが、それはかなわない。やがてトランシーバーは片方がなくなる。「こちらあみ子」。トランシーバーに叫んでも返事はいつもない。あみ子と周囲の関係を表しているようで、グッとくる。タイトルが秀逸だと思ったが、元のタイトルは「あたらしい娘」だったらしい。改題の方が絶対いい。
何を感じるか
「ピクニック」 とある飲食店(定食屋みたない店ではなくお姉さんがいる感じの)で働く女性・七瀬とその同僚ルミたちの日常を描いた作品。七瀬は人気のお笑いタレント・春げんきと交際しているが、公にはできず、長く付き合っているのに結婚もできない。そんな七瀬さんをルミたちは応援する。しかし、春とアイドルの結婚報道が出て…。という話。
これもあらすじと内容の印象はずいぶん異なる。読み手の捉え方もかなり差が出る作品ではないだろうか。七瀬を応援する物語ととらえる人もいるだろう。虚言癖のある七瀬に乗っかって面白がる話、からかう話ととらえる人もいるだろう。ルミたちは七瀬のストーリーが破綻しないように、新たなストーリーを練っていく。
虚言癖と書いたが、ここまで極端でなくても人は誰でも何かを演じている。息子、娘を演じたり、父、母を演じたり、恋人を演じたり、よき友人を演じたり。それに乗っかって他人がストーリーを足していく。そんな世の現実とリンクしていて、面白いととらえるか、ちょっと怖いととらえるか。感想を聞いてみたくなる話ではある。
違う視点
「チズさん」 近所に住むチズさんというおばあさんの家にたまに遊びに行く「私」。チズさんの誕生日を祝うためにケーキを買っていくのだが、その時、チズさんの家族が訪れて…。という話。
これもあらすじと内容は少し異なる。あらすじは「私」の視点ではその通りだが、チズさんを助けるいい人の「私」の物語だろうか。チズさんの家族は「私」の言動から想像するものとずれている、家族がチズさんを見る目もチズさんの実像とはずれている。かなり短い話だが、これもどうとらえたか話たくなる作品。
編集後記
この本を手に取ったきっかけは映画「花束みたいな恋をした」。作中のセリフに「ピクニックを読んでも何も感じない人だろうね」みたいなのが出てきて、印象に残っていた(そういう人は結構多いようだが)。なるほど。映画の登場人物が好んで読みそうな内容ではある。「ここで感動して」というリードはなく、読んだ人同士が内容について話したくなる。そんな要素が詰まっている。
今村夏子は河合隼雄物語賞、芥川賞も受賞している。それが、創作のきっかけがアルバイト先から「明日休んでください」と言われた日の帰り道、突然小説を書いてみようと思いついたというエピソードも面白い。