無言館 戦没画学生「祈りの絵」(窪島誠一郎)
こんな内容
2022年8月15日は77回目の終戦記念日。多くの死者の中に、まだ後世に知られるほどの画歴もなく、成果も手にしていない若い画学生がいた。長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」には、若い画家の卵が遺した作品が全国から集められている。画集では画学生31人の遺作50点とともに、画学生の関係者のメッセージが添えられている。一度だけでいい、あなたに見せたい絵がある。
初めての画集
画集を買ったのは初めて。有名な作品は一つもない。画家も全く無名。でも、絵の巧拙などは問題じゃないし、僕にはそこまで分かりません。どこまで伸びたか分からない未知数の才能が戦争によって断ち切られたのだということを作品が語りかけてくれます。
人生の記録、生きたしるしを何によって残すか。絵画が彫刻など美術の世界に求めた人たちの中に、野見山さんという画家がいました。野見山さんは戦争を生き延び、画業を完成させますが、戦火に消えた画友たちへの思いをずっと抱えていました。その思いを受け取った画集の著者でもある窪島さんが無言館を開設したのです。
こうした物語にひかれて、上田まで足を運び、作品を見た後は画集を買わずにいられませんでした。
奪われた未来
画集には戦没画学生1人につき1~2点の作品と画学生のきょうだいや妻など関係者にメッセージが添えられています。画学生の顔写真やプロフィールも紹介されています。中でも印象に残るのは日高安典さん。「あと5分、あと10分、この絵を描き続けていたい。外では出征兵士を送る日の丸の小旗がふられていた。生きて帰ってきたら必ずこの絵の続きを描くから…。安典はモデルを務めてくれた恋人にそう言い残して戦地に発った。しかし、安典は帰ってこなかった」。絵を美術館に託したのは弟。この美術館が国のものなら預ける気にはならなかった。「安典は国の命令で戦地へ行ったのですから」
プロフィールによると、安典さんは大正7年生まれ。鹿児島県種子島出身。東京美術学校油画科に入学。繰り上げ卒業し、戦地へ。昭和20年4月にルソン島で戦死。27歳でした。
野見山さんが寄せたメッセージも、訴えかけるものがあります。戦時中「もはや僕たちにとって絵を描く時間はそう残されていない…。日々まみえる家族のひとりひとり、信じあえる友人、あるいは離れがたいひと、なにげないあたりの景色。それらが急に、貴重なものとして浮かび上がる。こうしたかけがえのない日常を絵具で粘土で確かめるのは今しかない」。どの作品からもこうした思いが伝わってきます。
現地に足を運んで
無言館があるのは上田市のはずれ。Google先生によると、和歌山県の自宅からは車で7時間超。関西からは遠いです。僕が行ったのは数年前ですが、当時新たな長距離バスが注目されてて大阪から長野市まで夜行バスで行きました。学生時代何度も夜行バスは乗っていますが、40を超えると結構しんどい。無言館へは上田駅からローカル線に乗り換え、さらにバスに乗って向かいました。
窪島さん自身の設計による建物は十字架形をしたヨーロッパの僧院を思わせるデザインで、外観も内装も雰囲気があります。直接の戦地、戦跡だけでなく、私たちと変わらない日常とそれが奪われる瞬間を感じるこの場所にもっと多くの人が足を運んで、戦争とは何か考えてもらえればうれしいです。