暗殺(柴田哲孝)
元総理が凶弾に倒れ、その場にいた一人の男が捕まった。
日本を震撼させた2発の銃弾。
本当に“彼”が、元総理を撃ったのか?
実際の事件をモチーフに膨大な取材で描く、傑作サスペンス(幻冬舎ホームページより)

いろいろな陰謀論が流布する中、うまくトッピングして小説にした作品。感動はないけれど、こんなこともあるかもしれないと思わせる筆致はなかなか。小説というより週刊誌を読んでいる感じ。陰謀論に毒されない自信がある方は楽しんでみて。
お薦め度
令和にまさかの事件
元総理の銃撃事件。それも明治でも昭和でもなく、令和。モデルは安倍元総理の銃撃事件。最初聞いた時はそんなことが日本で起こるのかと驚いたものです。しかも、お隣の奈良県で。
政治家が街頭で演説するのも、聴衆と握手するのも全然珍しい光景ではありません。安倍元総理くらいの有名人になると、聴衆もかなりの数になるでしょう。でも、正直なところ、今政治家を暗殺したって、特に何が変わるわけでもないと思ってしまいます。日本でこんな事件が起きないと思い込むのは、治安の良さもありますが、そもそもそんな政治思想で対立する構図がないし、あったとしても誰かがいなくなったから世界が変わるというような人物がいないからです。
不審な点
この事件では不審な点がいくつか挙げられ、それが陰暴論につながっています。この事件に限らず、捜査内容などはすべて明らかにされるわけではなく、どうしても陰暴論が生まれやすいのです。例えばなぜあの場所で街頭演説したのか、なぜあんな素人っぽい動きの容疑者に気づかず、すぐに止められなかったのか。宗教団体と政治家のつながりは本当はどの程度なのか。事件の初公判はようやく10月とのこと。ここでどんな事実が明らかになるか注目です。
陰暴は成功するものなのか
陰暴論を唱える人は、陰謀を企てる人を万能に近い有能な人物に設定します。断片的な事実を組み合わせ、星座のように一つのストーリーを作ってしまう。陰謀を企てたとされる人も「ここまで知らないよ」と言いたくなるのではないでしょうか。どんな陰謀も巧みに成功しているのが不思議です。
陰謀にはこんなはずではない、という市民の思いも反映されます。この事件なら、あの元総理がこんなわけの分からない男に殺されるはずがない。もっと大きな組織がバックにある(あってほしい)という屈折した思いがあるのではないでしょうか。
SNSの投稿に「消費税に反対していた政治家が海の事故で亡くなった。これをどうとらえるべきか」といったことが書かれていました。「事故に気を付けよう」ではなく、「財務省の仕業」となるのが陰暴論です。もしこの陰暴論通りなら、財務省は想像以上に恐ろしいところのようです。
三つの恐怖
事件を知らせる記事に、「こみ上げる三つの恐怖」のタイトルでコラムを書いたことがあります。三つの恐怖とは「犯行理由」「分断の加速」「安倍元総理の功罪の議論」です。どんな犯行理由であれ、正当化されるわけにはいきませんが、自分にしか分からない理由で事件を起こす人が増えれば、防ぐことはかなり困難です。そのために、議論の場が制限されることになったら、分断はますます加速してしまう。そして、安倍元総理の功績はまだしも、解明されていないさまざまな疑惑がこのまま葬り去られるのではないか。この三つの恐怖は今も恐怖として残り続けています。
編集後記
陰暴論が横行し、マスコミが隠し事をしている、嘘をついているという論調に走る人が増えています。そうした空気感をうまくつかんだ作品で、これにハマる人はこれからもさまざまなことを陰謀で片付けてしまうでしょう。断片的には真実があるので、余計にたちが悪い。でも、それを覆せないとマスコミ、ジャーナリズムの意義がない。現代のジャーナリズムはますます仕事が増える一方です。