論破という病(倉本圭造)
自分と異なる意見を持つ相手を「敵」と認定し、罵りあうだけでは何も解決しない。今必要とされているのは、「メタ正義感覚」だ――。日本に放置されているコミュニケーション不全に対し、対立する色々な立場の間を繋いで成果を出してきた〝経営コンサルタント〟の視点と、さまざまな個人との文通を通じ、社会を複眼的に見てビジョンを作ってきた〝思想家〟の視点を共に駆使し、新しい活路を見いだす。
あらゆる「絶対」が無効化し、混迷が深まる多極化時代の道しるべとなる1冊。(中央公論新社ホームページより)

子どもの頃から「正義対正義」の対立を見てきたが、その解決法に踏み込んだ1冊は珍しい。論破が一部でもてはやされる時代に、タイムリーな1冊。周囲の議論に耳をふさぎたくなる人にお薦め。
お薦め度
あなたの議論ずれてませんか?
本書にたびたび登場し、キーセンテンスとなっている言葉「メタ正義感」。うーん、あまりセンスのいい言葉ではないけれど、相手が持つ正義も自分が持つ正義も、両方を尊重する世界観というのには納得です。単純に足して2で割って妥協しようというのではありません。「相手の言っていることではなく、相手の存在意義と向き合う」。表に出る意見は違っても、目指す方向はそんなに違っていない。そんなことは日常生活レベルから国家の政治レベルでも多々あると思います。
これは本書の例ではなく、僕の創作事例ですが、国防なんかもそうではないでしょうか。国を守るために防衛の予算を増やす、平和のために米軍基地の撤退を求める。こうした議論は真っ向からぶつかり、意見が合致することはありません。でも、防衛予算に賛成する人も反対する人も、国の安全保障を願っていることは同じでは。まあ、防衛費には利権が絡んでくるという考えもあるので、話はより複雑ですが。ただ「戦争反対」を叫ぶだけで戦争は避けられないですよね。相手国あっての話なので。「戦争反対」は双方同じ思いだけれど、方法論が違う。では、戦争反対という同じ思いに向けて、双方を尊重しながら今できることは何か考える。この姿勢はいろいろな場面で必要だと思います。
水と油
個人主義・合理性重視の姿勢を「水の世界」、個々の連鎖・特有のエリアをつくる「油の世界」。これも、言葉のチョイスとしてはいまいちな気がしますが、キーセンテンスです。「水と油」はまじわらない代表としての意味もあります。「油の世界」は日本的です。人々の連帯感や社会の安定性が生まれやすいけれど、個人への抑圧が強く、変化に敏感に対応をするのが難しいのが弱点。「水の世界」は最新技術を素早く取り入れ、浸透させることが得意ですが、現場の連帯感をズタズタに破壊しかねない。アメリカ的です。
本書では水は水、油は油の性質を保ったまま、いかに混ぜ合わせ、協業するか。「マヨネーズを作る」発想を持てるかどうかが、これからの日本の復権に必要だと主張しています。まあ、混ぜ合わせるのはなかなか難しいけれど、個々がそのままの形を保ちながら、全体として一つの形をつくる。サラダボウル的な世界もありかもしれません。
内輪トーク
課題解決の推進力にならない議論の典型が、内輪トークだと思います。本書でも「労働環境の改善を経営者側と真剣に交渉する」よりも年に1回の「原発反対・米軍基地問題、その他左翼メッセージ全部のせイベント」を開催することにしか関心のない層がいます。選挙のたびに、何ら具体的な策を打ち出すわけではないけれど、こうした主張だけを並べ、内輪で盛り上がる。そういう政党もいます。外から見ていると、絶対にその中に入りたくないし、その「輪」が広がることがないのは明白です。
もっとも、私たちもこういう「内輪」をつくっているケースはきっとある。それでは物事は何も良くならない。反面教師にしたいです。
理想と現実のずれ
社会の中にある「問題」が見過ごされていれば、まずは「巨悪対私たち」論法で課題をシェアすることはありでしょう。でも、そのまま自分の正義だけに引きこもっていたら、物事はそれ以上動かない。「正義対正義」の戦いになるだけ。これまでと全く違ったモードで「敵」と向き合い、協力していくことが必要になります。「理想と現実のずれをへらしていく」。それが本当の戦いです。
編集後記
共感するし、反省させられることの多い本でした。僕はどちらかといえば「水の世界」が好きで、でも出身は「油の世界」。この立場をうまく生かせていない。「敵」はいつまでも「敵」のままであることが正直多い。まずは身近なところから考えを改めてみようかな。