純愛は好きですか?/潮騒

小説

潮騒(三島由紀夫)

古代の伝説が息づく伊勢湾の小島で、逞しく日焼けした海の若者新治は、目もとの涼しげな少女初江に出会う。にわかに騒ぎだす新治の心。星明りの浜、匂う潮の香、触れ合う唇。嵐の日、島の廃墟で二人きりになるのだが、みずみずしい肉体と恋の行方は――。困難も不安も、眩しい太陽と海のきらめきに溶けこませ、恩寵的な世界を描いた三島文学の澄明な結晶。(新潮社ホームページより)

熊野堂
熊野堂

ド直球の恋愛物語。変な小細工がないのが、物足りないと思うか、かえって新鮮と思うか。純愛ものの一つの原点がここにあります。有名な作品だけれど、実際に読んだことはない人は多いのでは。純愛中の人、純愛に飢えている人にもお薦めです。

お薦め度 

ポイント

・三島由紀夫生誕100年

・異色の代表作

・島と都会と神話

・純愛は好きですか?

三島由紀夫生誕100年

 今年2025年は昭和100年と歴史の節目の年ですが、三島由紀夫の生誕100年でもあります。三島は美しい文体や感性で知られていますが、早くに亡くなった作家です。その亡くなり方が衝撃的で、僕はドン引きで作品にもあまり関わりたくないなと、どうも作家自身を好きになれそうにないなと敬遠していました。でも、これだけ評価されている作家を無視していていいのか、人間は気に入らなくても作品は別物。生誕100年を機に読んでみることにしました。

 生誕100年ということは、20歳の年に終戦を迎えたはず。そう考えると思想に激動の時代が大きく影響に与えたのでは、と勝手に想像してしまいます。もっとも、僕の祖母は今年で101歳。三島と同年代で元気に生きています。今生きていれば、令和の世をどう見ていたでしょうか。ネット社会についてどう発言したか。興味深いです。

異色の代表作

 三島の代表作といえば「仮面の告白」「金閣寺」「憂国」などが有名ですが、一般の人に広くしられているのはこの「潮騒」ではないでしょうか。映画化もされているし、オマージュというかパロディ的なものがドラマやマンガなどさまざまな文化に波及しているからです。

 ちょっと変わった人たちの物語のイメージが強い作家ですが、「潮騒」は王道の恋愛、純愛もの。すでに異色な作風で評価を得ていたのに、なぜこんなストレートな作品を書いたのか。その辺はよく分かりません。それだけ引き出しが多いのか、それとも表面に見える王道の裏にさまざまな仕掛けがあるのか。仕掛けがあったのだとしたら、僕には気づきませんでした。僕と同じく「三島か」とちょっとアレルギーがある人は、「潮騒」から入ってみるのはいいかもしれません。

島と都会と神話

 舞台は伊勢湾に浮かぶ漁村の島。僕の地元和歌山の南端と似ています。主人公たちは島の閉鎖的な空間で暮らしています。戦後の物語ですが、都会的な文化は海に阻まれ、島にはほとんど浸透していません。神話の国伊勢、島という空間。この設定が物語に神話性を与えているようです。これは熊野の文化、陸の孤島という地理的条件がある和歌山南部にも共通しています。この設定だからこそ、純愛の設定、葛藤が陳腐にならずにみずみずしく感じられます。

 島も都会と全く無縁ではありません。船で本土と行き来している人もおり、都会の情報を持っています。でも、ほとんどの島民はそうではない。主人公の弟が小学校の修学旅行で関西に行きます。自由時間に映画館に行くのですが、いすが小さいというか、鳥の止まり木のようなイスに困惑します。それもそのはず。イスは折り畳み型で、下ろして使うのを知らずに無理に座ろうとして、後ろの客に教えてもらいます。現代っ子はそんなバカなと思うかもしれませんが、僕の年代でもこの気持ちは分かります(これと同じことはありませんが)。僕も小学生時代に初めて行った時、自動改札を初めて見て衝撃を受けました。切符が戻って来る時と戻ってこない時の差がなかなか分からず、困惑しました。電車自体に乗ることもなかったので、1時間に何本も到着すること自体にも驚きました。

純愛は好きですか?

 「その火を飛び越えてこい」。焚火を挟んで裸の若い男女が向き合う。そして、男は炎を飛び越える。それで、結ばれる、わけではないのが純愛もの。バブリーな時代なら考えられない事態かもしれませんが、今の若者は結構共感できる人が多いのではないかと想像します。僕はバブリーな時期より少し後に青年期を過ごしましたが、純愛は結構好きです。

 主人公の新治は母子家庭で貧しいながらもまじめで清々しい若者、初江は島の名士の娘でちょっと格差がある。初枝の父、初枝を狙っていた島の青年のリーダー格の男などが障害になるのも、新治に思いを寄せていた若い女性の嫉妬など、いずれも王道の障害が立ちふさがる。駆け引きがどうとうか、いろいろな人と付き合った方がいいとか。恋愛至上主義の人たちはいうかもしれないけれど、50になってもやはり純愛推しです。

 ああ、純愛をしてみたい、と思う人はすでに純愛ではないかもしれませんが。

編集後記

 恋愛月間の最期は純愛もの。まあ、純愛といっても形はさまざまで、どれも純愛なのかもしれませんが。これを読んで三島が分かったと思うのはあまりに早すぎる。いずれ、他の作品も紹介したいと思います。久々に伊勢志摩の方に行きたくなりました。海の景色はきれいで、令和の今も神話が息づいているようです。

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