南方熊楠(鶴見和子)
南方熊楠は、柳田国男とともに、日本の民俗学の草創者である。この二人は、学問の方法においても、その思想的出自と経歴においても、いたく対照的である。日本の学問のこれからの創造可能性を考えるために、この二つの巨峰を昇り比べることは役立つ。熊楠の残した仕事、世界を漂泊後に地方から世界へ発信を続けた生涯、エコロジーを訴えた先見性ー。南方熊楠の魅力に迫る解説書。
講談社学術文庫カバーより
多くの人を引き付ける奇才、南方熊楠。朝ドラ「らんまん」でも名前のみ登場し、主人公・牧野の生き方に影響を与えました。ついに出てきたかと思った人も、熊楠って誰だよと思った方も。一度は読んでおきたい入門編。数ある熊楠関連の本の中でも、分かりやすく、基本を押さえられます。今回の投稿は過去の掲載分を再編集しています。
お薦め度
比較
熊楠の研究は一般には分かりにくいものが多い印象です。その中で「へぇ」と思われそうなのが、「シンデレラ物語」の研究。これまで西欧の話だと信じられていた物語が、実は千余年前に中国にもあった。このように、民俗、風習、民話、伝説について世界中の国々、地域、人々の間に、類似のものがあるかどうか調べあげ、それぞれの異同と、その理由を論じている。熊楠の強みはヨーロッパで学問を学び、かつアジアの知識があること。自身の中で西洋と東洋の思想が対決し、統合していたようだ。朝ドラの中でも触れていたが、科学雑誌「ネイチャー」に初めて掲載された論文は「東洋の星座」だった。こちらも比較が生かされている。
かといって、研究者や学術書とばかり格闘していたわけではない。「よく近所の床屋に行って、来る人をつかまえてはいろいろな話を聞いた」「銭湯では長湯して、人の話を聞いた」という逸話が残っている。それらの知識を、学者によって作られた仮説の吟味に用いていた。
熊野
熊楠は和歌山県出身。和歌山市で生まれ、後半生は田辺市で暮らしている。田辺市には南方熊楠顕彰館、隣の白浜町には南方熊楠記念館がある。8、9歳のころから、本を求めて遠方まで歩いて行き、読んで、覚えて、帰ってきては紙に写していたとか。そのわりに学校の成績はよくなく、動物や植物をとりに山に登っては2日も3日も学校にいかないこともあった。一応、大学予備門(東京帝国大学の前身)に入学しているが、中退した。
アメリカやイギリスへの留学を経て帰国後は、旅行さえ数えるほどしかせず、田辺市の住民となって、地方の中の地方から世界に通じる研究を続ける。
熊楠が唱え、実践していたのは、自然の破壊は人間の破壊につながるという原理。自然の破壊が起こる時、自分の住んでいるその場所で、ただちにそれを食い止きめる働きをせよというものだった。そのため、熊楠は自然を守る活動に熱を注ぎ、そうして守られた自然は田辺市や周辺で文化財として今に残っている。
朝ドラの中で、大学や研究者に自然を守る活動、神社合祀反対運動をともに手掛けるよう呼びかけるが、国の方針に反対することになり、ほとんどの学者は動かない。史実がどうだったのか、牧野は大学を辞して、守ることに取り組むことになる。史実では牧野と熊楠は手紙のやり取りはあるものの、出会ってはいない。熊野も訪れたことがあるのに。そのため、対立関係にあった、いや実は強い仲間意識があったなど、さまざまな説が飛び交っている。朝ドラでは牧野の助手がやや熊楠を批判するが、牧野は熊楠を認めているという設定に落ち着いた。
奇人
「偉人」「巨人」と称される熊楠だが、「奇人」ともいわれる。仕事ぶりより、人間の方が面白がられた部分もあり、伝記の方が業績の評論より多く書かれているようだ。僕自身も知ったきっかけは、少年ジャンプに連載していたマンガだった。他にも水木しげるの「猫楠」が有名である。間接的に出てくる作品として、みなべ町の梅加工会社が舞台の「レッド・リン」がある。
熊楠がイギリスに留学していたのは、シャーロック・ホームズが活躍していた時代。これを生かして面白い小説やマンガが生まれないかと期待している。夏目漱石が留学していた時期も一部重なるはず。こちらは実際に小説「吾輩はシャーロック・ホームズである」(柳広司)になっている。
編集後記
朝ドラ「らんまん」は面白かった。そして、悔しかった。なぜ、熊楠でなく牧野を主人公にしたのかと。2人の経歴は少し似ている。どちらも、生家は造り酒屋でおぼっちゃん。少し違うのは牧野の生家はつぶれてしまったが、熊楠の生家は今も和歌山市で酒を造り続けている。金持ちのボンボンが、自分の好きな研究に没頭する話自体はどうもあまり好きではない。きっと周りは振り回されて苦労しただろう。でも、何も残さないボンボンよりはずっと好感は持てる。朝ドラでも、牧野を支える武雄、寿恵子のファンが多いのではないか。私はそうである。困った人の面倒を見るのが性分なので、共感してしまった。