「みんなの学校」が教えてくれたこと(木村泰子)
「みんなの学校」は、大阪市住吉区にある公立小学校「大空小学校」の2012年度1年間を追ったドキュメンタリー映画。「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」が理念の学校。児童約220人のうち、特別支援の対象は30人を超えていたが、すべての子どもが同じ場で学び合った。不登校ゼロ、モンスターペアレントゼロ。この学校はどうやって生まれ、運営されているのか。初代校長が語る。
本書前書きより一部引用
障碍者と健常者、どこで、どうして線を引くのか。みんな一緒に学べば、社会の線引きもなくなるのでは。発達障害の子が増えているという。本当に一緒に学べないのか。学校関係者、子どもを持つ親、子どももぜひ映画を観てほしいけれど、配信してるか分からないので、この本から読んでみてはどうでしょう。
お薦め度
子ども同士で学び合い
一番好きなエピソードはこれかもしれない。いつも学校を脱走するレイジ。廊下を全力疾走し、あと少しで階段を下りて逃げ切れるという時、後を追っていた若い女性教師が足を滑らせしりもちをつく。どすーんと大きな音が響く。すると、逃げられるはずのレイジが教師のもとに戻ってきて、「痛かったね、痛かったね」と声をかけ、寄り添う。そのエピソードが学校中に伝わると、レイジは変わる。学校を脱走しなくなった。何も特別なことはしていないのにである。変わったのはレイジでなく、周囲の子ども、大人たちの見る目だった。
木村校長は最初、「この子さえいなければ、いい学校になるのに」と思っていたと告白する。でも、違った。分かりにくい子や、ちょっと気になる子・その子を変えることに全力を使い果たすのではなく、その子の周りの子どもたちを変える努力をする方が、その子は変われる。大人がほんの少し変わろうとすれば、子どもは変わる。一般的な学校では見られない光景ではないだろうか。
大人に失望する時
一番きついエピソードはこれかもしれない。問題があるけれど、大空小学校では理解され、みんなと過ごせていたレイ。卒業と同時に家庭の事情で引っ越し、みんなと違う校区の中学校に通うことになった。でも、中学校の担任は「僕に任せてください」と言い切った。中学校生活は期待とともに始まったが…。
体育の授業で、体育館シューズ、白い靴下を持っていなかったレイは、体育教師にシューズがないなら靴下を脱げと命令され、抵抗すると体操服の首根っこをつかまれ、体育館の床を引きずり回される。途中で気を失ってしまうほどひどいありさまだった。これがきっかけで、レイは学校に行けなくなる。でも、本当に学校に行けなくなった理由は少し違う。「僕に任せてください」と言い切った担任は体育館にいたのに、何も言ってくれなかった。止めてくれなかった。信じた大人に裏切れた。この失望からやがて這い上がり、レイは目標を見つける。でも、誰もがそうではない。こんなことが、あちこちで、身近でもきっと起きている。
必要なのは風呂敷
大空小学校に支援の必要な子は大勢いる。でも「特別」というものは捨てている。「この子と一緒にどうやったらやれるか」という発想で考え続けている。でも他の学校は違う。「この子は無理やね」と一緒に学び合いをしない理由ばかりを考える。学校はこうあるべきだという「形」ができてしまうと、その「形」に入れない子は必然的に学校に来られなくなる。長い棒やボールはスーツケースに入れては運べない。でも風呂敷なら、なんとか担げる。
車いす体験や目隠し体験は、自分と違う人のことを考えるきっかけにはなる。でも、それで分かったつもりになってはいけない。自分にない違いを持っている友達がいる。「自分はこうだけど、友達はこうなんや。じゃあ、どうしたらいいか」。考えることが大切なのである。
ただ、この考えにも注意が必要だ。周囲は学びがあるだろう。でも、「違いのある子自身」はどうなのだろう。みんなの学びのきっかけになって、自身も学べているのだろうか。どちらも学べて、成長できれば、きっと学校も社会も変わる。
編集後記
プライベートで初めて聞いた講演会が木村元校長だったかもしれない。そのくらい、この学校には引き付けられました。不登校や発達障害に関わる関係者にこの学校の話をしたことがあるけど、みんないまいち関心がないのか、あまり評価してないのか。いい反応はなかったです。まあ、現場の人にはまた違った見方があるのかもしれません。多くの人に知ってもらいたい考え方だとは思うのですが。