存在のない子供たち(2018年、レバノン)
わずか12歳で、裁判を起こしたゼイン。訴えた相手は、自分の両親だ。裁判長から、「何の罪で?」と聞かれたゼインは、まっすぐ前を見つめて「僕を産んだ罪」と答えた。中東の貧民窟に生まれたゼインは、両親が出生届を出さなかったために、自分の誕生日も知らないし、法的には社会に存在すらしていない。学校へ通うこともなく、兄妹たちと路上で物を売るなど、朝から晩まで両親に劣悪な労働を強いられていた。唯一の支えだった大切な妹が11歳で強制結婚させられ、怒りと悲しみから家を飛び出したゼインを待っていたのは、さらに過酷な“現実”だった。果たしてゼインの未来は―。
公式サイトより
すべての子どもを持つ親とかつて子どもだった大人、今現在子どものみなさんにお薦め。世界にこんな子どもたちがいる。懸命に生きている。もちろん、日本にも過酷な状況はりますが、この世界の現実を直視してほしい。
お薦め度
子どもの悩み
映画はフィクションなのだが、まるでドキュメンタリーのようなタッチ。冒頭でまちを上空から映すシーン、何やら怪しいジュースを作って販売しているシーンなどとてもリアル。実際主人公の少年もストリートでスカウトしたとか。ここで描かれる少年の悩みは、深刻だ。法的には存在していないため、学校にも行けない。どうも父親も働いている風にも見えない。でも子どもは多い。どう生きるかより、いかに生きる残るか。
日本でいかに生きるのかの悩みは少ない。そこは確保されたうえで、どう生きるか。考えなくても生きていけるけれど、より深く悩んでいるともいえるし、恵まれた悩みでもあるかもしれない。私の家も裕福ではなかったが、食事に困るほどでも、路上で何かを販売しないと生活費を得られないほどでもなかった。閉そく感、勝手に決められる仕組みに立ち向かいどう生きるか。それが悩みだった。
今は親の立場だが、訴えられる親の肩を持つ気にはならない。両親も決して極悪非道というわけではない。でも、抗うことをあきらめてしまっている。ただ、現状をしかたないとしか受け取らず、それを子どもに強いている。社会情勢がまったく違い、この両親が抗うだけで世界は変わらないが、もう少し運命を動かす努力していれば、子どもたちの状況ももっと変えられるのだが。
レバノンの今
レバノンは日本でなじみが薄い。どんな国なのか。
レバノンは地中海東岸に位置し、北と東はシリア、南はイスラエルに囲まれている。細長い国土の南北に山脈が走り、夏は高温乾燥、冬は温和な地中海性気候。イスラム圏とヨーロッパとをつなぐ位置にあるため、民族としてはアラブ人の国だが、宗教はイスラムやキリスト教の各宗派が複雑に混在している。
第二次大戦後は、貿易の中継地、金融センターとして栄え、物語の舞台となる首都ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれるほど、栄えたこともあったとか。しかし、イスラムとキリスト教徒の主導権争うが絶えず、1975年から1990年まで内戦が続き、国の経済が疲弊。映画のような厳しい状況が今も続いている。
少年の成長
映画の魅力は主人公の少年にある。意志の強い目が印象的だ。妹が強制結婚させられないように守ろうとしたり、成り行きで育てることになった赤ちゃん(この子もめちゃくちゃ可愛い)を必死で守ったり。その中で成長していく姿が年下だけど格好いい。演じた少年自体が過酷な環境で生きてきたようだ。母国シリアの内戦で、家族でレバノンに逃れ、難民として貧しい生活を送る。10歳からスーパーマーケットの配達を含む多くの仕事で家計を助けていたという。そんな背景がにじみ出ているような、絶望に立ち向かう迫真の演技を見せる。
物語のラストは少し希望が持てる。社会情勢は変わらないけれど、一歩前に進みだせるような。自分で道を選ぶかどうか。運命に抗えるかどうか。その違いがこの結末を呼ぶ。
編集後記
社会性とエンターテイメント性を兼ね備えた作品。かつて子どもだった大人、子どもを持つ親、今を生きる子どもに見てもらいたい。中東の貧困と移民の問題は、日本にいるとなかなか実感しにくい。小説や映画はニュース以上に広く届き、人の心を動かす。こんな映画(題材が同じという意味でなく)が日本でももっと生まれてくればいいのに。物語の強さを実感させられた。