日本列島回復論(井上岳一)
日本列島を根本から理解すると見えてくる、その凄まじいまでのポテンシャル。驚異の近代化や数々の復興の原動力となった「国土」と「地方」は、いま再び、未来に不安を抱きつつある私たちを救ってくれるか。自然、歴史、コミュニティー。テクノロジーを総動員して構築する、全く新しいSDGs、イノベーションの思想。次の時代をつくる人たちに届けたい、新しい「日本列島の物語」
新潮選書カバーより
地方なんて格好悪いと思っている人も、都市部に住んでいて過度に地方に憧れている人に読んでもらいたい。田舎の何がすごいのか。あと少し何が足りないのか。新しい田舎暮らしを楽しむための必携。
お薦め度
山水郷とは
数年前、里山資本主義という本が大ヒットした。日本列島回復論はそのバージョン2.0的な作品である。日本を救う山水郷の魅力、生かし方を解説している。山水郷は聞きなれない言葉で、作者の造語。人のつながりと山水の恵み、そしてその恵みを生かす手業と知恵、この三つが揃う場所を指している。それは都市ではない。田舎。田舎の中でも森が豊かで、水に恵まれ、川や海や湖があって、かつ人が古くから住んできた場所。人が古くから住んできた場所は、人が住むのに適していて、豊かな手業や知恵の伝統が受け継がれている。田舎でもわりと最近、戦後に開発されたような土地も多い。単に田舎なだけでは山水郷とは呼べない。
こんな条件の地域に住んでいる人は、これから時代の先端を走れるかもしれない。実は僕の住んでいる熊野地域もぴったり合う。しかし、現実問題としてこうした地域は過疎が深刻だ。これ以上、少子高齢化が進めば集落が存続すらできない状況にある。そこからの回復が日本の回復になるというのが本書の訴えである。
人口3千万人
かつての日本は、大半の人が山水郷で暮らしていた。少なくとも中世までは一等地だった。江戸時代の人口は約3千万人。鎖国していた日本は3千万人が生きるために必要な食料とエネルギー、資材を山水の恵みでほぼ自給できていた。国民すべてに最低限度の生活を保障する金額を支給する制度をベーシックインカムというが、山水の恵みは3千万人の生活・生業を支えるベーシックインカムとして機能していたわけである。
江戸時代の話でいうと、実は中央集権的ではなく、地方分権が進んでいたようだ。頂点に徳川幕府はあった。ただし、地方の藩は軍役と公共事業への労役、江戸勤め(参勤交代)は求められたものの、運営は藩主の裁量に任されていた。年貢米を幕府に納める必要もなかった。年貢は自主財源にできたとはいえ、幕府への労役義務は結構重い。新田開発もすぐ頭打ちになる。そこで、歳入を増やす手段として地場産業の育成が始まった。現代に受け継がれている各地の伝統的な特産品地場産業のうち、かなりの割合がこの時代に生まれている。山水郷は日本を支えていた。
改造から回復へ
どこかで似たタイトルを見たことがないか。意識しているのは、明らかに「日本列島改造論」である。列島改造で地方にも鉄道や高速道路、空港が整備された。「税金の無駄遣い」「自然破壊」の批判もある。「改造」したことで、地方の人材がより都市部に流出した面も否定できない。しかし、交通網は便利になり、最近は通信網も発達。地方のハンデはかなりなくなったのも事実だ。
「改造論」では「明治100年の近代日本の道のりは、地方の人が大都市に集中して牽引した。しかし、明治200年に向かう日本の将来は都市から新しいフロンティアを求め地方に分散、定着して住みよい国土をつくるエネルギーになるかどうかにかかっている」とあるそうだ。回復論の前段に改造論は必要だった。改造から回復へ。転換期をどう生きるか。今問われている。
編集後記
里山資本主義ほど売れてはいないが、前半で書いたようにバージョン2。0。実践的、具体的で圧倒的に面白い。田舎の、おそらく山水郷の典型のような熊野地域に住んでいることが、大きなチャンスになるかもしれないというワクワク感がある。私自身は山水の恵みを生かす術を持ち合わせていない。でも、人と人、地域と地域、地方と都市などをつなぐお手伝いはできるかもしれない。そして、山水郷の利点を最大に生かすため、行政も動かさないといけない。希望は待っていてもやって来ない。近くにいるかもしれないので、迎えに行こう。