災害後も続く生活 震災後小説

荒地の家族(佐藤厚志)

 元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か――。40歳の植木職人・坂井祐治は、あの災厄の二年後に妻を病気で喪い、仕事道具もさらわれ苦しい日々を過ごす。地元の友人も、くすぶった境遇には変わりない。誰もが何かを失い、元の生活には決して戻らない。仙台在住の書店員作家が描く、止むことのない渇きと痛み。

新潮社サイトより

防災や災害時の対応について考えることはありますが、災害後の生活に思いをはせることは少ない。復興へのリアルを描いた作品。災害の多い国に住んでいて、まだ遭遇していない人も、被災経験のある人も。美化しすぎない災害後に触れて欲しい。

お薦め度  

ポイント

・復興後の風景

・苦悩への寄り添い方

・美化しすぎない震災

復興後の風景

 復興といっていいのか、被災して数年後の被災地の風景の描きが方が秀逸だ。僕も被災1年後に現地を訪れたことがあるからよりリアルに伝わる。白い要塞のようにそびえ、海から人を守っているのでなく、人から海を守っているように見える防潮堤。観光気分で訪れた人には立派な防潮堤だなとか、海岸の景観を壊しているとかといった感想を持つだろうが、地元の心情からはこう感じるのではないか。

 人の心がどうだったか、祐治は忘れそうになった。取り戻そうとしても、更地になった町が戻らないのと同じで、正しい感情の動きが戻らない。被災地で暮らす作者からあふれる感覚を感じて、この一文も印象に残る。

苦悩への寄り添い方

 流産した2人目の妻。主人公の祐治は助けようとしたが、一緒に悲しみはしなかった。苦悩を妻だけに押し付けた形になった。知加子は助けて欲しかったのではない。一緒に穴に入って真っ暗闇の中で悲しんでほしかったのだ。二人の苦悩であるはずのものを祐治は知加子に押し付け、知加子の苦悩として癒そうとやっきになっていた

 いろいろな小説、ドラマで男女がすれ違う場面に共通する根源の問題。知加子は黙って家を出て、連絡を一切絶つ。逃げ出したのは知加子でなく、自分だったと祐治は思った。拒絶されたと感じたのは知加子のほうだったのだ。現実世界ではきっとこんなふうに気づくことはなく、後から気づいてもきっと取り戻せない。不都合なものに目を背けず向き合えるか。人はいつも問われている。非常時により問われることになる。

美化しすぎない震災

 震災に立ち向かうわけでもない、パニックを描くわけでもない。震災後の物語である。そして、この物語に劇的な復活劇はない。被災地は少しずつしか変わらない、そこに暮らす人も少しずつしか変わらないこんなに震災後を実直に描いた文学作品を読んだのは初めて。どうしても、何かが回復する温かい話を読みたいという願望はあるし、現実の世界にも求めたくなる。でも、これがリアルだ。ただ、絶望的な話ではない。希望はある。主人公は生きている。前に歩いている。子どもも育っている。最後の主人公の母親のセリフがいい。名言でもなんでもないけど。いろいろなものを抱えて、時間は止まらず動き続けている。そんなメッセージがある。

編集後記

 以前から読んでみたいと思っていた作品。震災後1年の東北を回ったことがある。被害の大きかった地域はがれきこそ撤去されていたものの、ただ更地が広がり、そこにどんなまちがあり、暮らしがあったのか。外から来た者には分からなかった。防災を考えることはある。被災地にボランティアに行ったこともある。でも、被災の後も続いていく生活に思いを寄せることはあまりない。この作品の登場意義は大きい。

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