DTOPIA(安堂ホセ)
恋愛リアリティショー「DTOPIA」新シリーズの舞台はボラ・ボラ島。ミスユニバースを巡ってMr.LA、Mr.ロンドン等十人の男たちが争う──時代を象徴する圧倒的傑作、誕生!第172回芥川賞受賞作(河出書房新社ホームページより)

新感覚の小説。芥川賞らしい新しさは随所に感じますが、好みでいうとそれほど好きではない。でも現代の問題を現実の出来事をうまくフィクションと混ぜ込みながら提起している技はさすが。展開もスピーディー。好みが結構分かれる作品かな。
お薦め度
マイノリティーですか?
マイノリティ(社会的少数派)は連日のようにニュースになり、小説や映画でもたびたび題材にされています。自身がマイノリティと感じることはありますか?僕は結構ありますね。学校でも社会でもマイノリティ側に立っていることが多かった気が増す。でもいろいろ細分化していくと、誰もがマイノリティになる気もします。巧みにマイノリティにならないように立ち回ったり、逆にマイノリティになるように立ち回ったり。不思議な現象が起きています。
この作品はそうした現状を描き、皮肉っているようです。恋愛リアリティーショー自体がそうした世界を象徴する舞台としてうまく演出されています。冒頭など一見、娯楽性の高い作品に見えて、実は社会問題をえぐっている。一筋縄ではいかない作品です。
白人の懺悔
面白い視点だなと思ったのが、2024年度の娯楽トレンドは「白人による白人のための懺悔ショー」。アカデミー賞高所になった「バービー」「オッペンハイマー」「哀れなるものたち」「アメリカン・フィクション」「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」と言った映画はどれも、二十世紀に白人が残した負の遺産をセルフ懺悔するコンセプトを持っていたー。挙げられた作品は全て観ていないのですが、あらすじは知っているし、評価も耳にしています。まさにそうで、白人の懺悔という表現はぴったり。そして、それなら出演が白人ばかりでも問題ないという論理。現代の事象の捉え方。この部分だけは共感できました。
ノンバイナリー
何かと話題になりがちなLGBT。複雑になりすぎて、もはやついていけない感じもあります。その中で、注目度を高めているのが男性でも女性でもない第三の性「ノンバイナリー」。この作品はノンバイナリーの「モモ」の視点で語れていくスタイルもちょっと変わっています。
ノンバイナリー自分の性認識に男性か女性かという枠組みをあてはめようとしない考え方を指すようです。肉体的には男女の違いは間違いなくあると思いますが、でもそれは肉体的なことで自認はどうだっていい気がします。むしろ、自認にこだわるのは男女を強く意識しているのではと思うこともありますが。もっとも自認は自由であっても、肉体の男女まで飛び越えるとトラブルが巻き起こります。男性が男性であることにこだわらなくていいように、肉体的に男性でもスカートをはいたっていいし、化粧したって、男性と交際したって別に何の問題もありません。男性だから女性だからというのは、そういう部分では何の問題もないはずです。でも男性の肉体で、女性専用の風呂に入ったり、女性のスポーツ大会に出場するのはちょっと違うのでは。
編集される世界
恋愛リアリティーショーは生中継しているわけではありません。会場となる島のあちこちにカメラが設置され、さまざまなエピソードが撮影されていますが、それはテレビ用に編集して放送されます。編集の中には時系列自体を少し動かしているものある。テレビ番組はそういうものだという共通認識があるので、そこは問題ではありません。
世界で提供されるさまざまな情報も編集されています。テレビ、新聞、SNSに関係なく。そのままを生中継するにしても、世界の全てを生中継しているわけではありません。題材を選んで(編集して)いますよね。でも、私たち一人一人の生活は編集されていない。もしくは自身で編集しないといけない。リアリティーショーという設定が何を投げかけているのか。考えさせられます。
編集後記
すごく面白い、お薦めというわけではなかったけれど、どういう物語かと構造を考えていくと、現代の問題にスタイリッシュに切り込んだなかなかの意欲作ともいえそうです。こうした作家が新しい地平を切り開いくれたら、文学はまだまだ面白くなりそうです。