壁のなか、外どちらにいますか?/死者の奢り・飼育

小説

死者の奢り・飼育(大江健三郎)

死体処理室の水槽に浮沈する死骸群に託した屈折ある抒情「死者の奢り」、療養所の厚い壁に閉じこめられた脊椎カリエスの少年たちの哀歌「他人の足」、黒人兵と寒村の子供たちとの無残な悲劇「飼育」、傍観者への嫌悪と侮蔑をこめた「人間の羊」など6編を収める。“閉ざされた壁のなかに生きている状態”を論理的な骨格と動的なうねりをもつ文体で描いた、芥川賞受賞当時の輝ける作品集。

熊野堂
熊野堂

ノーベル文学賞作家。日本で最も有名な作家の一人ですが、実際に読んだことのある人はどのくらいいるでしょうか。難解なイメージの強い作家ではありますが、初期短編はそんなことはありません。しかも現代にリンクしている。最近の芥川賞作家は物足りないと思う人は一度読んでみては。

お薦め度 

ポイント

・壁のなかと外

・奢っているのは誰か

・飼育されているのは誰か

・戦後と令和

壁のなかと外

 閉ざされた壁のなかに生きている状態を描いた作品たち。その中で、僕が特に注目したのは「他人の足」です。他の作品と比べても地味ですが、現代に通じるし、現代ではまた違った見方があるようにも思います。

 脊椎カリエスの少年たちはもう2度と歩くことができません。閉じられた空間の中で、同じ病気の少年(少女も1人)と外部との関係を断って生きている。同じ毎日がこれからも続く。ところが、新たに病棟に加わった青年は大学の文学部に所属していました。病気の「新米」で外とのつながりがあり、中に閉じこもっている少年たちを外につなげようとします。だとすると、いい話にも見えるのですが、青年の本質的な部分は閉じられた空間の住民ではない。外の人。一時は少年たちの目を外に向けさせ、閉じられた空間の雰囲気を激変させるが、やがて本質が露呈します。

 これは現代でも起こることですが、現代はさらに複雑かもしれません。石丸や玉木などSNSを通じて既得権益を打破するイメージを打ち出す政治家は、実はエリート出身で支持層の壁のなかには入っていない人物。エリートがエリートを攻撃する。それを非エリート層が支持する。これもちょっとしたバランスで簡単に崩れる関係ではないでしょうか。

奢っているのは誰か

 死体処理室のアルバイト伝説を生み出した「死者の奢り」。このタイトルが議論になることがあるそうです。死者は奢っているのか?僕はこの死者は主人公の学生「僕」を指しているのではと思いました。はっきりした生きる目的がない「僕」を死者になぞらえているのかと。対比するように、管理人の男性や妊娠している女子学生は「生」を感じる描写があるからです。

 それにしてもアルコール液に浮かぶ死がいを移動させるアルバイト。実際にあったら、やりますか?僕は学生時代ならやったかもしれませんね。

飼育しているのは誰か

 戦時中、村でとらえられた黒人兵を世話する少年は、やがて飼育している感覚を覚え、黒人兵と心を通わせていると思うようになる。でも、その関係で心が通うはずないですよね。

 白浜町のテーマパークにはパンダが4頭います。飼育されているパンダをやたら擬人化して、誕生祝いや母の日のプレゼントをしたり、外に出るはずもないパンダに交通安全大使を任命したり。外から見ると異常だと思うのですが、誰もそんなことは言い出さない。パンダファンは嬉々としてイベントを楽しみ、マスコミは肯定的に報道する。そして、町の観光がパンダにのっかる。それが全4頭突然、中国に返還されることが決まり大パニックが始まりました。果たして本当に飼育されているのは誰なのか。

戦後と令和

 作品の多くは戦後間もないころか、もしくは戦中(後半)です。それは大江自身の体験とも重なるからでしょう。戦後に感じた壁のなかにいる感覚が、令和の今にも通じる。結局、壁はいつまでたってもできるのか。そこを楽々とは超えられないのか。収録の6篇に派手な作品は一つもないけれど、今読んでもそんなに古くない。現代の芥川賞受賞作もこうやって時代を超えられるか。もっとも権威のある賞を受賞していないエンタメ作品にも時代を超える作品はいくらでもあります。それは強調しておきます。

 

編集後記

 今さら大江を読み始めるのか、との思いはありましたが、読んでみて正解です。なるほど、確かに良作。おかげで、読みたい本リストがさらに増え、困ったことにはなっています。最近は古い作品を読むことが多かったので、現代の良作も読んでおかないと。

 

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