知的な冒険してますか?/ゲーテはすべてを言った

小説

ゲーテはすべてを言った(鈴木結生)

高名なゲーテ学者、博把統一は、一家団欒のディナーで、彼の知らないゲーテの名言と出会う。
ティー・バッグのタグに書かれたその言葉を求めて、膨大な原典を読み漁り、長年の研究生活の記憶を辿るが……。
ひとつの言葉を巡る統一の旅は、創作とは何か、学問とは何か、という深遠な問いを投げかけながら、読者を思いがけない明るみへ誘う。
若き才能が描き出す、アカデミック冒険譚!(朝日新聞出版ホームページより)

熊野堂
熊野堂

インテリが訳の分からない寝言みたいな世界を描いているのでないか、という先入観はあっさり崩れました。これは面白い。知的な冒険が詰まっています。今回の芥川賞2作のうち、僕は断然こっち推しです。知的な体験に飢えている人にお薦め。

お薦め度 

ポイント

・ゲーテとは何者か

・引用、出典

・知的な冒険してますか?

・ジャムとサラダ

ゲーテとは何者か

 ゲーテ、教科書にも出てくる歴史的な有名人ですが、じゃあどんな人からと聞かれたら答えられますか。ゲーテの作品を一つでも読んだことがありますか?責めているわけではありません。僕も全然、ゲーテには縁がありませんでした。

PHPの人名事典に

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)
1749~1832ドイツの詩人、小説家、劇作家。1749年、ドイツに生まれる。1774年『若きウェルテルの悩み』で一躍名声を博し、詩、小説、戯曲などに数々の名作を生んだ。代表作に『ファウスト』『詩と真実』などがある。1832年、『ファウスト』完成の翌年に永眠。

 これくらいの基礎知識を持ったうえで読むと、というかこの程度の知識で小説は十分楽しめます。

引用、出典

 ゲーテの知られざる名言はいったいどこから引用されているのか。本当にゲーテは言ったのか。この言葉を巡る冒険が小説の本筋です。世の中に名言はあふれていますが、出典はどこなのか聞かれるととたんに怪しくなるものも多いですね。

 僕らの世代で有名な出典元といえば、民明書房。漫画「魁!!男塾」にする実在しない架空の出版社です。作中に登場する数々の武術についての解説が民明書房の本からの引用として紹介されます。この武術がもう荒唐無稽なのですが、引用という第三者の説明により現実味(?)帯びてくるという仕掛け。普段の会話でも有名な先生がこう言っていたという話を加えると説得力が増しますよね。

 作中でもこの仕掛けが使われています。でも、そもそも作品の中で示されているゲーテの言葉が本当かどうかさえ、僕には分かりません。いい言葉なら、誰が言ったのでもいいですが。

知的な冒険してますか?

  「ファスト教養の時代に、ファウストの教養を」。作中のゲーテのファウストを特集した番組で登場するキャッチフレーズは、今の時代を表しています。僕はこの作品を知的な冒険と感じましたが、世の中の人は全然冒険しなくなった気がします。知的な冒険は、まっすぐに目的にたどり着くわけではありません。検索してコピペするだけではない。あっちこっちに寄り道して、その過程がまた楽しい学びになるようなものだと思っています。

 例えば、作品に出てくるゲーテの名言の出典を突き止めることは、基本的に社会の役には立ちません。実用的な学びでは決してないのです。でもそれがいい。それだから面白い。そして、直接的ではないけれど、きっと社会のどこかの役に立つ。少なくとも追い続けている人の大事な部分を満たしくれる。そんな力があります。

 詰め込み教育は面白くないし、仕事に生かせる専門学校の知識も必要です。でも、そのことと教養がおろそかにされていいということは別の話です。もちろん、好きな人だけがやればいいのですが、誰だって生涯知的な冒険を楽しめる。それを若いうちから放棄してしまうのはもったいないです。

ジャムとサラダ

 作品の中で面白い考察があります。複雑な世界をどう理解するか。ジャム的とサラダ的な世界。ジャム的世界とは、すべてが一緒くたに融けあった状態、サラダ的な世界とは事物が個別の具象性を保ったまま一つの有機体をなしている状態を指す。アメリカ社会における「坩堝」「サラダボウル」、日本的な「和」と西洋的「全一」。ゲーテは世界をサラダ的に理解し、かつ構成しなければならない、と考えながらも、ジャム的世界の理想を神に委託していた。

 と書くと難しいでしょうか。暮らしの中でジャム的な世界、サラダ的な世界を感じることはありませんか?今冬のドラマでもっとも面白かった作品が「東京サラダボウル」。多文化が共存する“サラダボウル”になっていく日本でどう生きるか。どんな社会をつくるか。ゲーテは何というのでしょうか。

編集後記

 こんなに地味で、こんなに面白い小説は久しぶり。知的な文学論議が続くのに、エンターテイメント性が高い。イメージだけで判断してはいけないと反省しました。作者の他の作品も読んでみたい。今年1番のお薦めかもしれません。

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