少年が来る(ハン・ガン)
光州事件から約三十五年。あのとき、生を閉じた者の身に何が起きたのか。生き残った者は、あれからどうやって生きてきたのか。未来を奪われた者は何を思い、子どもを失った母親はどんな生を余儀なくされたのか。三十年以上の月日を経て、初めて見えてくるものがある――。丹念な取材のもと、死者と生き残った者の声にならない声を丁寧に掬いとった衝撃作。『菜食主義者』でマン・ブッカー賞国際賞に輝いた、著者渾身の物語。(クオン社帯より)
初の韓国文学作品にしてはヘビーかと思いましたが、意外と読みやすい。ノーベル文学賞受賞で一気に注目度が高まりましたが、それ以前から有名な作家。内容は間違いなくヘビーで、気軽に読むタイプではないですが、今の時代に読んでおく価値ありです。
お薦め度
光州事件
日本ではあまりなじみがないかもしれない光州事件に迫った作品です。デジタル大辞泉によると、1980年5月、光州市で戒厳令解除を求めて始まった大規模な学生・市民の反政府・民主化要求行動を、戒厳軍が武力で鎮圧し、多数の死傷者を出した事件。45年前とはいえ、戦後のこと。僕もすでに生まれています。そんな時代に戒厳令など時代劇的なものがあった。それが語っちゃいけないことになっていて、戦時中の日本のような国が今どきあるのかと思いつつ、いつでも、どこかの国で、日本でもそうしたことが起こるかもしれない。そんなことを思いながら読みました。
自分ならどうするか
戒厳令、それって令和の話なのということが、韓国で起きました。ハン・ガンの作品で、あえてこれを選んだのは戒厳令がきっかけです。戒厳令の説明は、学研ネットさんが分かりやすいかも。戦時
または異常
な事態
が国内に発生したとき,立法権
・司法権
・行政権
の全部または一部を軍
の支配
下にうつすことを宣言
する命令
。大日本帝国憲法
のもとでは天皇
の大権
とされたが,日本国憲法
はこうした体制
をみとめていない。◇近年の外国の例
では,1989年に中国で天安門事件
がおこった時に,北京
市に戒厳令
がしかれた。
日本国憲法はこうした体制を認めていないとありますが、いざという時こういう体制を敷きたい人は確実にいます。こんな時に、自分ならどう行動するのか。率先して従うのか、政府にとことん抵抗するのか。報道は何を伝えるのか。自衛隊は誰のために動くのか。政府の指示に従うのか、反対行動を取る住民を支援するのか。
エピローグの中の文章が印象に残っています。特別に残忍な軍人がいたように、特別に消極的な軍人がいた。
道庁に残った市民軍にも似た態度があったという。大半の人たちは銃を受け取っただけで撃つことはできなかった。
あなたならどう行動するだろうか。僕は反抗の意思をどう示すだろうか。市民軍は市民軍でなじまない気もする。何かを伝えようと走るだろうか。すぐに捕まるかもしれない。その時、抵抗するような強い意志はあるだろうか。いろいろと考えてしまう。
異なる視点
作品は一本のストーリーが進むわけではありません。各章ごとに語り手、主人公が異なります。ただ、核にあるのは時代が違っても光州事件です。軍に親友を殺された少年、なぜ殺され、誰に殺されたのかさえ分からずに死んだその親友、拷問の記憶、亡くなった少年を思い続ける母親。一人一人の人生を描くことで、過去の歴史で片付けてしまわない。重層的に現代につながる物語になっています。
これは小説なのか、それとも実話なのか。帯に書かれている文言が作品の特徴を表しています。いろいろな人を取材して、再現した報道にも近い形のドキュメンタリー的な物語。35年もの時を超えて、こうした物語を伝えられるのが文学の強さだと思います。
正しさとは何か
軍人が政府の命令に従うのは正しい。でも、その行動は正しいか、命令が正しいかは話が別です。だって、国を住民を守るための軍が、市民に牙をむく。暴行、拷問を加える。そんなことがあっていいわけがない。でも、どの命令が正しくて、正しくないなんて各自が勝手に考えていたら、それはそれで大混乱になるのも事実です。
一方、市民の行動は何が正しいのか。正しいと信じることを押し通すことが正しいのか。戦争でもテロでも、いくつもの正しさがぶつかり合う。言論を封じない、異なる意見をなかったことにしない。どの立場にいても、その原則を守ることは結構難しい。普段から意識していないと、簡単に人の正しさに乗っかってしまう。
正しさとは何か。青っぽい問いかけですけれど、普段から考えていないと行動できないのではないでしょうか。
編集後記
ノーベル文学賞がどうした作家に贈られるのかいまいち分かりませんが、この作品は国際的に読まれるだろうなという普遍性があります。民主化なんて当たり前と思っていることが実はそうではない。今の暮らし、政治を見つめ直すきっかけにもなる作品です。