水中の哲学者たち(永井玲衣)
「もっと普遍的で、美しくて、圧倒的な何か」。それを追いかけ、海の中での潜水のごとく、ひとつのテーマについて皆が深く考える哲学対話。若き哲学研究者にして、哲学対話のファシリテーターによる、哲学のおもしろさ、不思議さ、世界のわからなさを伝える哲学エッセイ。当たり前のものだった世界が当たり前でなくなる瞬間。そこには哲学の場が立ち上がっている!さあ、あなたも哲学の海へ!
本書カバーより
哲学、字面だけでも難しそう。自分には縁がない。そう思う人も多いはず。でも、誰でも思考を深めれば哲学ができる。そう気張らなくても思ったことを話して、みんなで考えれば哲学になる。そんな雰囲気のエッセイ。堅苦しさはないので、アレルギーのある人はまずここから始めてみては。
お薦め度
哲学は役立つか?
哲学は役立つか?と問われたら、個人的には自分の成長になるけれど、社会的には役立たないかなというのが僕の考え。そもそも役立てるためにするものでもないのかなと。文系、理系論とも似ていますが、何かを作ったり、経済価値を生み出したりという意味でのお役立ち要素はほぼない。でも、そこに価値があるというのが僕の考えです。
哲学は役立つか、哲学は難しいか、哲学は金になるか…。これらもすべて哲学の素材になります。そんなこと、あらためて考える必要ないのにと思うようなことを掘り下げるのも哲学。一見、変人の試みのようでいて、逆に誰もができる学問でもある。
結局明確な答えはまだ出ていないのが哲学です。
対話は恐ろしい
哲学対話とは一つテーマについて、集まった人が話を深めていく作業。作者は対話というのは恐ろしい行為だと言います。たしかにそうかもしれません。他者に何かを伝えようとすることは、離れた相手のところまで勢いをつけて跳ぶようなもの。たっぷり助走をつけて、勢いよくジャンプしないと相手には届かない。跳躍の失敗は転倒を意味します。何か分かる気がしませんか。
完全に分かりあうことはできないでしょう。いっそ勝ち負けを決める方が簡単で、楽に済む。でも、分かりあおうとすることこそがきっと大事で、そこに哲学の果たす役割があるのではないでしょうか。
変わることを恐れない
人の話を聞いて、それによって自分の考えが変わること、それを楽しんでください。哲学対話を始める前に、ある先生が言った言葉。これは深い。人は一貫性に憧れる。そもそも、議論の場では意見を変えたら負けてしまう。不変にも憧れる。それはきっと人がうつろいやすい存在だから。それなのに、私たちは変わることが苦手でもあります。間違いを認めたり、立場を捨て去ることができません。変わることを恐れつつも、悦ばしく思うこと。それが哲学対話の醍醐味かもしれません。
共感して終わりでもなく、闘争するでもない。異なる意見を引き受けて、さらに考えを刷新する。中間をとるのでも、妥協するのでもない。変わることを楽しむ人でありたいですね。
待つことができますか
「待つ」ことは辛いです。でも「待たされること」を「待つことに」に捉えかえると、それは決断と主体性を帯びたものになります。急ぐことを拒否する態度にもなります。
世の中は急いで答えを求めてきます。確かに急いで答えを出さないといけない問題もあるでしょう。でも、今起こっている問題も、今まで継続している問題も、自分のことも、他人のことも。そのほとんどはすぐに答えが出るものではありません。答えはずっと出ないかもしれない。即答力はAIに任せてもいい。考え続ける力こそ求められているのかもしれません。その意味では哲学は役立ちそうです。
編集後記
美容院はスリリング、との表現が面白い。実は僕も常々そう思っていました。以前は哲学なんて暇な人がすることと思っていましたが、一方で体質的には哲学的なことを考えるのが好きな自覚はありました。この本を読んでみると、自身の考えている(他人からはくだらない)ことも哲学なのかなと思えました。今度、哲学対話しましょう。