意識は死にますか?/サンショウウオの四十九日

小説

サンショウウオの四十九日(朝比奈秋)

周りからは一人に見える。でも私のすぐ隣にいるのは別のわたし。不思議なことはなにもない。けれど姉妹は考える、隣のあなたは誰なのか? そして今これを考えているのは誰なのか――三島賞受賞作『植物少女』の衝撃再び。最も注目される作家が医師としての経験と驚異の想像力で人生の普遍を描く、世界が初めて出会う物語。(新潮社公式サイトより)

熊野堂
熊野堂

芥川賞受賞の実験的作品。表層的には奇異な設定ですが、問いかけるのは普遍的な内容。決してスラスラ読める内容でもありませんが、誰もが考えると生と死の問題が含まれていて、興味をひかれます。哲学的な話が好きな人にお薦めかな。

お薦め度 

ポイント

・意識は死にますか?

・自己とは何か

・タイトルの意味

・医師と作家

意識は死にますか?

 死んだらどうなるんだろう?子どものころから一度は考えたことがあるのではないでしょうか。肉体が滅びるのは想像しやすいのでしょうが、意識はどうなるのか。意識が消えることは想像しにくい。天国と地獄、幽霊なんかも意識が残っているとの考えから生まれていますよね。さまざまなことをごもっともに述べる宗教家もいますが、「死んだことのない人が死について語るのを信じるのか」という格言(?)があります。死は自分では確認できませんからね。作品では意識とは何か、深く問いかけていきます。

自己とは何か

 この小説の肝は、意識は二人分あるが体は一つという特異な設定です。結合双生児、僕の世代でいうとベトちゃん・ドクちゃんをイメージしますが、それよりもっと一体的。体だけじゃなく、頭も顔もくっついていて、くっつく位置も場所によって多少ずれている。基本的には一人にしか見えない(ベトちゃん、ドクちゃんは見た目は2人だった)けれど、確かに二人の意識がある。もちろん、使い古された二重人格という設定ではありません。

 体や感覚、思考まで共有しているのに、意識は別。体と意識は別にある。なら、最初の問いに戻りますが、体が滅した後、意識はどうなるのか。身近で、壮大な問いは作中でも結局結論は出ません。でも、いろいろと考えるヒントは示されます。設定の特異性に目がいきがちですが、思考を深める文学の特徴が生かされた作品だと感じます。そのうえで、面白いかどうかは別問題ですが。

タイトルの意味

 タイトルの意味は途中で示されますが、冒頭は全く見えません。特異な設定が肝だと言いましたが、実は冒頭は何気ない日常から始まります。設定を最初から明かしていない。僕は芥川賞を受賞後に読んでいるので、はじめから設定自体は何となく知っていたのですが、それを徐々に明かしていく進め方はさすが。前半の入り方はすごい工夫していると感じます。

 サンショウウオは陰陽図。互いに補完しながら生きている。今の世間では障碍者と呼ばれることになりそうな主人公こそ完全体なのか。タイトルにもセンスを感じます。

医師と作家

 作者は現役の医師です。消化器系の医師で、現在は非常勤。医師が小説を書くケースはたまにあります。「チームバチスタの栄光」の海堂尊、「神様のカルテ」の夏川草介なんかもそうですよね。作中には医学的な知識がふんだんに登場します。実際に患者を診て、メスを持って手術する。実体験から得た感触が感じられます。ただ、最初に挙げた2人と違うのは、舞台が病院ではないこと。日常の中に、哲学的な、宗教的な問いの中に医学もある。とっつきやすい作者ではないですが、次作が楽しみな作家が登場しました。

編集後記

 この人の芥川賞受賞後のインタビューはなかなか面白かったです。医師をやってみたけど向いていない。物語が浮かんでくるから書かざるを得ない。非常勤で医師として働く以外に社交性がないので、それを維持するために非常勤医を続ける。たぶん、会社勤めとか向いていないんでしょうね。文学少年ではなかったという点も興味深いです。それが最初に読んだのが「苦役列車」「共喰い」なのも意外性があります。また一人、変わった作家が登場したなという印象です。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA