山に登りますか?/バリ山行

小説

バリ山行(松永K三蔵)

 第171回芥川賞受賞作。古くなった建外装修繕を専門とする新田テック建装に、内装リフォーム会社から転職して2年。会社の付き合いを極力避けてきた波多は同僚に誘われるまま六甲山登山に参加する。その後、社内登山グループは正式な登山部となり、波多も親睦を図る目的の気楽な活動をするようになっていたが、職人気質で職場で変人扱いされ孤立しているベテラン社員妻鹿があえて登山路を外れる難易度の高い登山「バリ山行」をしていることを知ると……。(講談社サイトより)

熊野堂
熊野堂

芥川賞作品って難しんじゃないの、と心配の方。エンタメ要素も強いこの作品ならきっと大丈夫。会社員が感じる組織と個人、自分らしい生き方など身近な問題を登山している気分も味わいながら考えることができます。

お薦め度 

ポイント

・山に登りますか?

・組織と個人

・オモロイ純文運動

・作家は稼げない

山に登りますか?

 秋は登山シーズン。今登山ブームが来ています。それも高い山だけではありません。注目されているのは低山。47都道府県どこにでもある、身近な山を登ることが人気のようです。高い山の頂上を目指すだけではない。登山の楽しみ方はさまざまです。

 僕も低山登山は何度か体験していますが、登山と文学は少し似ています。山を歩きながら、自分を見つめる。考えを深める。この行為はそのまま文学にもつながります。読書にも通じるといっていい。作者の言いたいことは何か。この場合自分ならどう行動すか。ひたすら考える。登山と文学の相性はとてもいいようです。

組織と個人

 作品のテーマの一つが、会社の組織と個人の問題。そして登山でも通常のルートを団体で登る登山と、道なき道を一人で行くバリエーションルート、バリ山行が対比されます。

 主人公は組織に息苦しさを感じながらも何とか合わそうと努力し、最初は興味のなかった登山活動にも参加します。一方、ベテラン社員妻鹿は孤立してもお構いなし。自身の信じる道を突き進み、会社と異なる方針も平然と貫きます。登山でもバリ山行を楽しむ。

 主人公が妻鹿に感化され、自由人になっていくというほど単純な話ではないですが、誰もが身近に感じる問題をストレートに扱っているのが潔い。読者からは妻鹿が人気なようですが、それだけ組織に苦労している人が多いのでしょうね。組織の中でうまく立ち回る人が目立ったり、得したりするのは僕も納得いかないので、その点では妻鹿が人気なのは納得です。

オモロイ純文運動

 作者はオモロイ純文運動を掲げているらしい。純文学とは何か。これまでさまざまな論争が起きていますが、文学的な表現を多用したり、特異な視点で物語を描くことが条件というわけではありません。この作品は面白く読ませる技術がある一方、実験性、新しさはあまり感じません。純文学の世界では、これまでどちらかというと後者が重視されてきた気がしますが、この作品が芥川賞に選ばれたのは時代の変化かもしれません。面白い作品が純文学でも当然いいわけです。むしろ、読みにくい、難しい作品が必ずしも高度な純文学作品とはいえません。もちろん、読みやすい作品が優れているとも言えません。作品のメッセージ、読者にどんな反応を起こせるか。純文学もエンタメも結局、良質の作品はここに尽きるのだと思います。

作家は稼げない

 作者は現役の会社員です。朝早く会社近くの喫茶店で小説を書いてから出勤しているのだとか。かつては家を建てられるから「作家」とのジョークもあったそうですが、芥川賞の賞金は100万円。令和の世では、とても家は建てられそうにありません。新車を買うのも難しい。作者も会社を辞めて、作家専業という道は選ばないようです。というか現実的に選べないようです。ただ、会社員でいるから見えることは多い。これが作家としての財産となっている。バリ山行はまさにそんな作品です。

編集後記

 面白いけれど、驚きはない。というのが率直な感想。最近の芥川賞受賞作は大体読んでいますが、面白いか、面白くないかは別にして、あっと思わせる新規性は薄い気がします。新人賞なので、安定した物語だけでなく、新しい世界を切り開く物語を読んでみたい。ただ、この作品は頭の中だけの思考実験でなく、隅々まで血が通っている。本物感がいい。最近の受賞作の中ではお薦めです。

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