手でふれてみる世界(2022年、日本)
彫刻に手で触れて、この世界の一部を感じ取る。
彫刻を抱擁する人が写し出された1枚の写真と出会った。彼はなぜ愛おしそうに彫刻に触れているのか、知りたいと思った。その人は、イタリア・マルケ州にあるオメロ美術館の館長・アルド・グラッシーニで妻のダニエラと一緒に、視覚に障害がある人が彫刻で手に触れて鑑賞できる美術館をつくった。この美術館を目にしたことと、人と人との関係性。そのすべてを誰かと胸中したいという思いが生まれ、私はカメラを回し始めた。
公式パンフレットより
誰もが楽しめるユニバーサル・ミュージアムという考えが日本でも広まっています。世界でもその先駆けとなったイタリアの美術館を追いかけたドキュメンタリー映画。私たちは一体何が見えて、何が見えていないのか。新しい感覚を開いていてくれる作品です。健常者と言われる人にこそ観てほしい。
お薦め度
見えない世界
もし、目が見えなくなったらと考えたことはありますか。私はあります。30歳前後、視力が低下しているのに気づきました。見えにくいのが常態化していて、自覚症状がまるでなかったのですが、メガネのレンズを変えても視力が上がらない。免許の更新でひかかってしまうのではないか。病院嫌いで極力行かないようにしていたのですが、やむなく診察を受けたところ、白内障でした。若い人には珍しいですが、病気としては珍しいものではない。手術し、視力は回復しました。病名が分かるまで間、ずっと見えない世界を想像していました。明るい要素は何もなく、まさに光が失われる感覚でした。
触ると触れる
一番辛いのは文字が読めなくなること。プライベートでも仕事でも何かを読んでは書いてを繰り返しているので当然です。今はオーディオブックも普及し、耳で本を「よむ」こともできます。ネット上のさまざまなサービスもある。それでも、今の自由とは比べ物にならない制限があります。映画は音声の字幕があるにしても、アートは厳しい。それが当たり前だと思っていました。
でも「触れてみる世界」がある。「触ってはダメ」が原則の美術館でふれて鑑賞できる。同じ字を書く「触(さわ)る」「触(ふ)れる」。少し使い方が違います。触るは一方的、触れるは双方向。互いが合意できる心地よいポイントを探るのが「触れる」です。目が見える、見えないに関わらず新しい世界にたどり着ける。そんな世界があることが衝撃的でした。
見えるの意味
見えるにも二つの意味があるように思います。物理的に「見る」ことと、「判断する、考える」ことです。目を開いていても見えない、見えていないものがある。目の前に困っている人がいても視界に入らない、気づかない。現代の社会病がまん延しています。視覚障害があると、彫刻の形は見えない。でも触れて「みる」と形状ではなく、もっと奥の部分、心のかたちの部分が「みえる」。私たちは何が見えて、何がみえていないのか。映画は問いかけてくる、気がします。
インクルーシブ
オメロ美術館はなんと「国立」です。こんな美術館を国立にするイタリアは、いろいろな問題を抱えた国であっても、インクルーシブにおいては日本のはるか先を行っています。障害を含め、多様な差異を尊重しながら、全ての人が共存共栄する。本来の当たり前が、日本ではまだまだ遠い。アートの世界で、それが少しずつ変わり始めています。障碍者のためだけじゃない、少数派のためだけではない。インクルーシブにはあなたも、私も、含まれている。オメロ美術館まで行くのは大変ですが、国内のユニバーサルミュージアムに行ってみたくなりました。
編集後記
アートが好きなんですね、とたまに言われます。特段詳しいわけでなく、良し悪しも正直よく分かっていない。でも、好きか嫌いかでは言えば好きだ。理由は説明できなくても、感情は動く。この映画は、アートって何だろう、みるって何だろう、違いとは何だろう、分かり合うとは何だろう。さまざまな問いかけがあります。近くの映画館ではなかなか上映されないでしょうが、興味を持ったらググってみてほしい。地元で、監督のトーク付きで観られたのは本当にラッキーでした。