銀英伝が問いかけるもの
清廉な専制政治と腐敗した民主政治
作中で問いかけられる大きなテーマの一つが、清廉な専制政治と腐敗した民主政治はどちらがいいか。帝国は専制政治です。ゴールデンバウム王朝時代は一部の特権階級だけが富む政治でしたが、ラインハルトは大胆な改革を急速に進め、民衆の支持を得ます。改革に議会の議決も、投票も必要ない。ラインハルトは政治家として才能がある上、専門家の声に耳を傾けられる。実力があれば、年齢や出自を問わずに抜擢。そうした決定に私利私欲もない。
こんなリーダーなら民主制でも選ばれるはずです。
一方、もともと帝国を打破して、民主政治を取り戻すのが目的だった同盟の政治は腐敗していきます。選挙の直前に戦争に勝てば与党の支持率が上がるから、戦争をする。腐敗した政治家が私利私欲の限りを尽くす。ラインハルトに追われた旧帝国側と手を組み、帝国を改革するラインハルトと敵対する辺りはもはや、建国の精神も何もありません。
そもそも、帝国は民主政治のもと、支持を得て生まれたものでした。社会に閉そく感や将来への不安がまん延しているところに、超人的な指導者が現れ、方向性を示してくれる。「こうしろ」と命令される方がむしろ安心するという弱さが人間にはあります。これって、今の日本、世界の情勢にも合致していると思いませんか?
ヤンは「最悪の民主政治でも、最良の専制政治にまさると思っている」と個々が自分で考え、責任を持つ民主主義を支持し続けます。
トリューニヒトは実在する?
同盟の政治家で、「腐敗した民主主義」の象徴的な人物として描かれる、ヨブ・トリューニヒトという人物がいます。舞台俳優のような優れた容姿を持ち、弁舌に長ける野心家です。後に同盟元首として最高権力者に上り詰めます。クーデターなどの逆境も乗り越え、逆に力をつけて帰ってくるなど、独特の才能を持った人物で、同盟が事実上滅亡してもなお生き続け、要職に就いてしまうしぶとさ。
人気取りがうまく、市民を扇動でき、保身術にも長ける。いろんな政治家がいま、トリューニヒトに似ていると話題になっています。小泉純一郎が似ているという人もいますし、安倍晋三こそトリューニヒトだという意見もネットで出回っていたようです。トランプの名前も挙がっています。身近にもいるかもしれないトリューニヒト。隠れたファンも多いようです。
№2不要論
ラインハルトの下には優秀な部下が次々集まりますが、親友にして側近、特別な位置にいるのがキルヒアイスでした。その有能さ、特別な関係性は周囲もほぼ認めていたのですが、危険視する者もいました。参謀のオーベルシュタインです。彼はラインハルトにキルヒアイスを特別扱いしないよう進言します。自身が№2に取って代わろうという訳ではありません。組織に№2はいらない。有能なら有能なりに、無能なら無能なりに組織に悪影響を与える、というのが彼の持論です。
たしかに、歴史上に№1と№2の幸福な関係というのはあまり存在しません。支持を得た№2が№1に取って代わろうとするか、危険を感じた№1が№2を粛清するか。無能な№2が体制を壊してしまうこともあります。
キルヒアイスが死亡した際、茫然自失に陥ったラインハルト。急速に力をつけてきた組織は一転、ピンチを迎えます。オーベルシュタインの作戦で、立て直しを図るのですが、ここで№2不要論が生きてきます。多くの優秀な部下の中から、混乱に乗じて誰かが№1になろうとしても、これまで同格だった者は下に就くことをよしとはしない。担ぎ上げる№2もいない。ラインハルトとキルヒアイス、二大巨頭を欠いた組織は統制を失わず、ラインハルトの復活を支えます。
№2は必要か不要か。身近な組織で考えてみてください。